朝から晴れて風もなくおだやかな春の一日となった。
昨日の千鳥ヶ淵行きが疲れとなって残り、今日は家でのんびりすることにした。
午前中、庭に出て乙女椿や絞りの椿の落花をひろったり、目立ち始めた小草を引き抜いたりした。
ゴミ袋6つに入れて腐葉土になるのを待っている落ち葉をかきまぜた。数日前の雨に打たれて底のほうの落ち葉が濡れているものが多いので、天地返しをし、空気をたっぷりふくませて発酵が進むようにした。
この作業は庭に1本だけあるソメイヨシノの木の下でおこなった。庭土に桜のはなびらがひろがり、明るさをそえている。
植木鉢に植えたラナンキュラスやチューリップなどの花たちも春の光をあびてうれしそうに見える。
紫陽花や桃の木,、樟の木、柿の木、、、、新芽、若葉が目にまぶしい。
庭にいて花や新緑を愛でながら、これからのことも少し考えた。昨年から続いている知人との関りを(今は友だちといってもいいくらいの気持ちになっているが)さらに一歩進めようか。双方にとって負担になったり、不利益になることはあるだろうか。それともお互いに良き実りを得ることになるだろうか。
昨年からの続きをそのまま続けるのは少し無理になってきたようなので、さらに一歩進めるしかないように思えるのだ。
午後は布団を干している廊下で短い昼寝をした。目覚めると障子硝子に若葉が芽吹いた柿の木が映っていた。部屋のなかに柿の木が入ってきたような感じがして、妙な感じがした。この妙は、嫌な感じの妙ではなく、快い妙である。
仏間に添うような廊下に横になったので、障子を開けると父母の遺影が並んでいるのが目に入る。
まだこの家で父母が元気なころ、夕食の時間に柴犬レオがぬいぐるみを投げて遊んでくれと吠えて催促することがあった。わたしが無視していると父が遊んでやれと言ったので、ぬいぐるみを父の頭の上方を通るコースで居間から仏間(そのときは仏壇がなかったので仏間ではないが)に投げた。
レオはけんめいに走り、ぬいぐるみを加えて戻ってくる。また投げる、戻ってくるを何度も繰り返した。
めちゃめちゃ元気だったレオ。父母もそれほどではないが元気で一緒に夕食のテーブルを囲んだ。
あのころが昼寝の目覚めによみがえってきた。
レモンの木とわが間違へし樟の木が紅き葉を吹く三月の末
濃いもものつぼみほぐれてぼかしの花ふわふわ咲かす姫りんごの木