朝は陽射しがたっぷりと注いだが時間がたつにつれ雲が多くなり太陽の光が弱々しくなった。
今日の予報は夕方から天気が崩れるとのことなので、その前に、と庭に出て草むしりをした。家の裏手の隣家との境に近い細い通路に伸びた草を曳いた。
この通路に向かい台所から出入りする扉があり、父母が元気なころ、二十年くらい前は米屋が毎月お米を配達して、ここまで運んでくれた。
さらに父母が若い頃は肉屋、魚屋が御用聞きにきて、注文の品を配達してくれた。
現在はここから出入りすることはほぼない。新緑の季節に風を通すために扉をあけることはあるが。
この家でふつうに生活していれば目に触れない草だが、やはりきれいにしておきたい。
老犬ももこがこの家に来たばかりの頃は、この家の周りをぐるりと回る通路を歩くのが好きだった。ここで大小の用をたしたのである。ももこはきっと、新しく暮し始めた家の周りに自分の匂いを残して「ここはわたしの家よ」と主張したかったのだろう。
翌年になり、腎不全末期で身体がどんどん衰えたとき、ももこは一度だけこの通路を歩こうとした。自分から家の裏を回ろうとしたのだ。
ところが季節は夏に近く紫陽花の木が茂り裏手に回るのが難しい状態で、わたしはももこを止めて逆回りしようと誘った。
家の裏手を逆回りしたが回りきれず、ももこを抱いて庭に戻った。その後はさらに衰えて歩くことさえ困難になってきた。
いま思うとあのとき、ももこがそうしたいと思ったとき、紫陽花の枝を払ってでも行きたいところに行かせてあげればよかった。
こんなことを考えながらもくもくと草を抜いた。簡単に抜ける草とそうでないのがあるので、草の根を切って刈る道具を使った。これは犬の散歩で知り合った人からもらったもので十数年使っていなかったが久しぶりに取り出して使うとすごい優れもので、草むしりが格段に楽になった。
きれいになっても、ももこがここを歩くことはないが、わたしがときどき歩いて家のめぐりに何かないか見回ることにしよう。
草引きを半ば終へて腰おろし風に吹かるるわれも庭の木
風により聞こへる日と聞こへぬ日遠き橋渡る電車の音は