短歌会の詠草プリントを発送した

 今日も午前中まで粘って、短歌会に出す自分の歌3首を考えた。結局、ワードで入力した短歌を2首差し替えてから、コンビニに行き、6部コピーをとった。

 自分が詠草プリントを送る係になると、このように時間をかけて短歌を推敲したり変更したりができる利点がある。

 朝の庭を眺めながら、この眺めから「湧く」という字を使った短歌を詠んでみようと思った。乙女椿がほぼ満開となり、オカメ桜も満開で、梅の花が終わり、庭では確実に春の時間が過ぎてゆく。この時期は生命力があふれているからこそ、亡くなった人や犬のことが思い出される。こんなにきれいな季節を生きることができない寂しさを思う。

 こんなことを考えていたら、「湧」の題を使った2首の短歌ができた。できると思っていなかったので自分でも驚いた。

 この方法で題詠の歌を詠ったことが何回かある。題と関係がない(または遠い)景色やテレビの画面、モノを見て考えるとおもしろい歌ができることがある。題に近いものから離れることができて、発想を飛ばすことができるのだ。

 最近、短歌をブログに載せていないがいろいろな短歌会や短歌大会に送るので手いっぱいで、日常の歌がなかなか詠めない。こんなに短歌にふさわしい季節が訪れているのに!

 

三月の朝の庭わが部屋に招き入れるためカーテンをあける

 

わがうちを泉のごとくふいに湧く人思ふこころやみがたきなり

 

映画「ダーティ・ハリー2」を見て

ハンドルを握るキャラハン刑事の手 金色の毛はゆるを見たり