澄み切った冬の青空がすがすがしい。
近くの神社の松の木の上にのぼった太陽は神々しいくらいの光を朝の街にそそいでいる。
この太陽を見て感傷的な気持ちになった。わたしが死んだ後も同じように神々しい朝の光は注ぐのだろうと。気持ちのいい朝は続くのだろうと。
一昨日買ったパソコンは快適に使える状態になり、古いパソコンに感じたストレスから解放された。前のパソコンは柴犬レオが亡くなった後に購入し、老犬ももこがこの家にいるとき使い、ももこの死後4年あまり使ったので、なんか一つの区切りがついたようにも思えた。
レオとももこが好きな気持ちは変わらないし、いまもそばにいてくれると思う気持ちは変わらないが、新しい世界に一歩進むのもいいよと背中を押されたような気がする。
いや、昨年あたりから一歩踏み出した感覚がある。それでいいのだと誰かが言ってくれているような気がする。それは犬たちかもしれない。
午後はときどき行く少し離れた商店街に歩いて行った。急な坂道をひとつ上って行く。最寄り駅に向かって商店が並んでいる。父がまだ若いころ、飼っていた犬を連れて母が頼んだ買い物をするためこの坂を上ったと晩年に話していた。昔は舗装をされずにむき出しの土の坂だった。坂の傾斜だけは昔と同じ。
1週間くらい前に買った洋服のサイズが合わず、取り換えをした後、新しい緑色のセーターを買った。パン屋では朝食のパンを買い、魚屋で夕食の魚を買い、豆腐屋で油揚げを買った。荷物があったので寄り道をせず、遠回りもせず、買い物を終え家に帰った。
さらに少し離れたスーパーマーケットまで歩いてお米を買いに行った。今夜のお米がないので急を要する買い物である。
夏みかん重みに垂れつつ青空に浮かぶ月にぞなる夢見たり
黒シートで半ばおおわる赤土の更地を眺める昼間の月