2020年の師走も半ばとなり、お正月が迫ってくる感じだ。その前にやることがいくつかあるので、ため息が出てきそう
年賀状に使う絵を描きたいがまだ手を付けていない。日本水仙か、白梅の絵を描きたいと思っている。その気になればすぐ描けると思うがいまのところその気にならない。
今日も家でのんびりする日と決めている。
火曜日は燃えるゴミを出す日なので、庭道や駐車場など目につくところに落ちている落葉を掃きよせた。落ち葉の大部分を庭に掘った穴に入れ、一部をゴミとして捨てた。
人目につかない庭道にたまっている落葉は大量にあるので、掘った穴に放りこんだ。
午前中は落ち葉の掃除以外はのんびり。午後は庭に出てすももの木の前に作った小さな花壇に小さなチューリップやヒヤシンス,水仙の球根を植えた。今年の6月に掘り起こした球根なので花が咲かない可能性もあるが、小さな花が咲く方に期待したい。
小さな花壇には矢車草とストックの小苗も植えた。今年の9月に種子を蒔いて育てたものだ。
植え付けた後、水をたっぷりとやった。冬は雨が降る日が少ないので思ったより水やりが必要となる。
花壇の植え付けが終わった後、空を仰ぐと桃の木の枝の白っぽい新芽が目に入った。桃の芽は桜や梅の芽より大きくて、おおらかな感じがある。芽はとがってはいるが白っぽいうぶげのようなものにおおわれていて、見た目がやわらかい。桃の花や桃の葉っぱにどこか面影が似ている新芽がかわいい。
庭仕事をしながら今年を振り返るまなざしになった。今思うと交通事故に似たような縁があったように思えた。縁という良い意味合いを持つ言葉と、交通事故という人にとって予想外の禍を意味する言葉。この二つが重なりあうことがあるのだろうか。
ぜんぜん予想もしなかったことがあったという意味で交通事故的と言えるかもしれない。
予想できないことが起こってもそれが自分にとって喜ばしいのなら交通事故的と言わないから、わたしにとっていいことなのか、そうでないのかまだわからないということだろうか。
ただ、わたしが交通事故的と思っていることを相手が知ったら、どんな気持ちになるだろうか。わたしにしてくれたことに対しては感謝の思いが強い。お互いの利害や指向が一致にしての結びつきと思いたい気持ちもある。
桃の木は枯れたる後も庭に立ちひよどりの好む止まり木となりつ
わが庭に三本在りし桃の木が二本となりて初めての冬
来む春の約束のやうに銀色の桃の新芽が青空にやさし