「旅」の題詠を読む

 昨夜は短歌大会の興奮を引き摺っていたのか、いつもより寝つきが悪く、深夜1時過ぎに眠りについた。

 明けて今日は青空がひろがる気持ちのいい秋の一日となった。日中の気温は昨日と同じくらい。朝は寒かった。

 買い物も行かず、庭には何回か出たがほとんど家にいた。

 テレビで大統領選挙を見たり、テレビの音声を消して、昨日の短歌大会で買った講師の方の歌集を読んだりした。

 『造りの強い傘』(奥村晃作著)という少し変わったタイトルの歌集で、2012年と2013年の著者の短歌が収められている。

 2012年は柴犬レオとこの家で暮らしていた、懐かしい年。前年の2月に父が亡くなり,3月には東日本大震災が起こった。

 2013年は柴犬レオが死んだ年で、これも忘れがたい年だ。

 著者の短歌を詠みながら、いまだ短歌に出会っていなかったわたしの柴犬レオとの生活を思い起こした。短歌を詠むようになったのは2013年7月から。この歌集では2013年の前半と後半に分かれて短歌が構成されている。後半はレオがいない歳月のはじまりで、ここから短歌をたしなむようになった。

 別に短歌に出会ってよかったとは思わない。柴犬レオがずっとわたしのそばに居て、短歌と無縁で生きていたらその方がいいと思うくらいだ。

 でもそうはならずに、今現在がある。

 あきらめて今の続きを生きるしかない。時々、ほんとうに望んでいる事だろうか、いまわたしがやっていることは、と思う。

 わたしにとって短歌のその中でも、自分の望みに近いのではないかと思うがほんとうのところはわからない。

 

 11月10日必着の「旅」の題詠を考えた。ひとつ、まあまあ気に入った短歌ができた。この歌はここではアップロードできない。他に考えた歌をいくつか・・・・・・。

 

基隆(キールン)の港近くの旅の宿深夜の地震(なえ)に揺り起こされき

 

旅の空街のはずれに出あいし女(ひと)自宅にて食事振るまひくれき