春の花苗をホームセンターへ買いに行く

朝方は厚い雲が空をおおってた。雲がおおう空の下、朝の散歩をした。

目の前にひろがる風景が見たくて、少し高台になった道から多摩川の方向を眺めた。家々の屋根が眼下に見え、その向こうが多摩川でさらに向こうは川崎の街である。多摩川の流れは見えないが、対岸の街は眺められる。

 どこかうつうつとした気持ちをなだめるために、目の前にひろがる風景を深呼吸するように眺めた。そんなかんたんに気持ちのうつは晴れなかった。

 気温が上がらず家の中でもうすら寒いが、暖房は掘り炬燵だけ。

 炬燵に入って、今年の6月に他界された短歌の師の歌集を拝読した。

 熊本が郷里の先生の不知火の海を詠んだ歌や、筑紫を旅した時の連作、流氷のオホーツク海を読んだ連作など読みごたえがある。ひとつのテーマを何十首もの短歌で詠みつなぎ、深める方法もおもしろいと思った。できるかどうかは別として。

 わたしが詠む短歌は日常のふとした心の動き、心動かされた風景や光景など身近な題材が多い。

 午後は車に乗ってホームセンターに買い物に行った。そろそろ花壇の植え替えの時季である。例年はいつ頃から植え替えの作業をしているだろう。今年はいつもと同じ作業にどことなく力が入らない。

 愛した犬たちがいない秋の寂しさが身に沁みる。犬との関わりがなくなり4年経って、同胞(人間)との関わりが以前より密度が高くなった気がするが人間との関わりは疲れる。コロナウィルス感染拡大が終息しないのに、人間とのかかわりの密度が高くなったと感じるのは矛盾しているようだがわたしのなかでは矛盾していない。

 人と関わると気を使いすぎて疲れる。ひとりでいる時間を多くするようにして、ストレスを解消して、気持ちのケアをするようにしているがそれでもたまってくる。

 話を元に戻そう。ホームセンターでは晩秋に植えて春の花壇で花の盛りを迎える花苗を買い求めた。今日買ったのはビオラの苗3つ、パンジーの2つ、プリムラの苗2つの計7つである。

 パンジーネモフィラの苗と寄せ植えにしようかと思う。ビオラは花壇に植えてもいいし、夏に日日草を植えたコンテナに植えてもいい。プリムラの紅梅の木の周りの花壇に植えよう。毎年、ここにはプリムラを植えているから。

 毎年同じ花を植えることで、柴犬レオや老犬ももことどこかでつながっている気持ちになれる。こんなつながりが今のわたしにはとても大切なことなのである。

 今日買った花苗の写真を撮らなかったので明日撮ってアップロードしたい。

 

キッチンの花瓶にさせる百日草けさはなにゆえ長く目を留む

 

テープの声ひびかせ来し竿竹売いつのころから聞かなくなりけり

 

車にて竿竹売が近づけば父は呼び止め一本買ひき

 

金木犀の香りに似る強さにて君のオーデコロンわれに迫りく