ほぼ四か月ぶり、武蔵小杉の歌会へ

 朝方は雲が多く梅雨の空だったが時間がすすむにつれて晴れ間がひろがった。

 今日は2月末以来の四か月ぶりに開かれる武蔵小杉の歌会の日。

 午前中は歌会の準備をした。20首の短歌からわたしがいいと思った歌を5首選歌し、7月の歌会に向けて詠草を3首選んだ。

 日傘を持ってお昼過ぎに出かけた。バスに乗って武蔵小杉に行った。以前は坂道を上り最寄駅から電車に乗ったが、暑くなる季節は坂道を上らない行き方を選ぶことが多い。

 歌会の会場はいつもより広い会議室を使った。市民館の入口にはアルコール消毒液が用意され、会議室にもアルコール除菌薬を持ってきた。定員25人の部屋に7人だからよゆうがある。座席はひとつ開けて座った。

 歌会の先生は入院中なので(入院したのは確かで退院したかどうかわからない)、わたしたちの短歌を添削することができず、先生の添削なしで歌会をはじめた。

 司会はわたしが務めた。この歌はこうすればもっとよくなるという前向きな姿勢でみなさんの歌にのぞんだが、やはり先生とは違い、どうすればよくなるのかをはっきり言うことが難しい。つまり、人の作品の添削がじゅうぶんにはできないということ。添削ができないことは自分の作品の推敲ができないことに通じるのではないか。

 わたしは自分の歌の推敲をしっかりとできているのだろうか。反省を感じた歌会だった。

 歌会が終わり、わたしたちの会のこれからを全員で話し合った。

 入院中の先生とは決別をすることにした。もちろん、ご本人には健康が回復したらまたご指導をお願いしたいという含みを持たせ、先生の健康を考えるとこれ以上歌会のことでお手を煩わすことはできないというように伝えるつもりだ。

 もう先生の添削は期待できなのでその代わりとなる方法をわたしたちで模索することにした。新しい先生を探し歌会に来てもらうか、新しい先生に添削のみをお願いするか、それとも自分たちで歌会を行うか。

 今のところ決まっているのは歌会は解散しないことだけ。どのように続けるかは模索中である。

 わたし自身は短歌を学ぶのに結社に入るのは抵抗がある。もしかしたら上達のスピードが速くなるかもしれないが、それはどこかに入ったらからというより自分の努力、やり方次第だろう。自分にとって刺激になるライバルと出会うことは歌の上達に欠かせないと思うが、現状はその刺激に乏しい。先達たちの作品に接することで補えると思っていたが、今現在を生きている人たちの刺激がほしいこともある。

 

 

遠くからわが街眺めてこの中の灯り一つ吾(あ)を待つと思ひき