雨の月曜日、人との接触、9割減

 昨日の晴天が嘘のような今日の天気。雨雲が空をおおい、ほぼ一日中雨が降った。

 朝、ポストに朝刊を取りに行き、新聞を脇に挟んで傘を持ち、そのまま短い散歩に出た。近くの川沿いを下流方向へ。神社まで行き、急な階段を上り、お参りをしてから引き返した。 

 肌寒いので居間のエアコンを入れ、炬燵のヒーターも弱にして、ほとんど家にいた。

 そろそろ4月末締め切りの短歌雑誌に投稿する短歌8首と、「詩歌の風」と言うコラムの原稿をまとめなければいけないがエンジンがなかなかかからない。

 こういう時期だし、ぎりぎりになってやるのは避けたい。よゆうをもって、ものごとすすめるのがストレスが多めの生活をしているときの心得だ。

 いくつか短歌を詠んでノートに記し、さらにワードの「四月の短歌」と言うファイルに追加した。

 ただ、決め手になる短歌がないというか、そう、核になる短歌がまだ詠めていない。

 核になる歌とはどうしても詠みたい歌であり、自分にとって気になる歌であり、その1首から次の歌へと世界がひろがる歌である。そういう歌が1首あると8首を構成しやすいし、これがわたしの歌と言える気がする。

 待っていても空から降ってくるはずもなく、いくつもの歌を詠んでそういう歌が詠めるのだろう。さあ、どうしよう。時間は限られている。

 午後遅い時間に近く郵便局に傘をさして行った。外に置いてある傘立てに傘がなく、わたしひとりだった。電話料金の振り込みをしていると2人が入ってきた。早々に郵便局を後にし、すぐ家に帰ろうと思ったが気が変わってまた短い散歩に行った。朝より、少し長めの散歩だ。雨の日なので犬の散歩をする人が遠くにひとり、歩いている人が50㎡先にひとり。工事現場近くで車を誘導している雨合羽を着た男の人がひとり。

 のびのびと散歩ができた。コロナウィルスの感染拡大が進む前によく足を運んだ特別支援学校の正門前を歩いた。ここに週2回通ったこともあったが、またここに来ることがあるだろうか。コロナウィルスは手ごわいのでなかなか明るい未来を描くことができないでいる。

 いまわたしが期待を持って見ているのは日本で今月末までに実施予定という抗体検査とその結果だ。アメリカ。カリフォルニア州のどこかの街で3300人の住人に実施したそうだが、抗体を持っていた人の割合から類推すると陽性者の実数の50倍から85倍の感染者がいたということになるそうだ。全住人《200万人》の2、5~3,4%が感染している可能性がある。早日本でも実施してほしい。

 今日は雨が降ったので外に出ても人が少なく、買い物にも行かなかったので、人との接触9割減以上となった。