午前中は晴れたが午後になり雲が多くなってきた。風も強くなった。
日曜は部屋の掃除をすることが多く、午前中、掃除機をかけた。8畳の仏間〈父母が生前寝室として使っていた)、6畳の居間、廊下と4畳半の広縁、トイレに掃除機をかけて疲れてしまい、一息入れた。
休んでいる時間に電話が二本入り、ほとんど話していた。電話が終わり、洗濯ものを干し、また掃除に戻った。自室がいつも掃除の最後になる。柴犬レオと老犬ももこの遺骨が床に低い台を置いてそこに安置してある。掃除ごとに二匹の犬の遺影が入った写真立てのほこりをとり、台を取って床を掃除する。
遺骨を置きっぱなしにするのがいけないような、かわいそうな気持ちがあるので、1週間ごとにきれいにして新たに安置する。以前は半年に一回くらいしか遺骨のまわりを掃除しなかったので、わたしの気持ちが変わったとしかいえない。
昼食後は友だちに送ると約束したマスクを手縫いした。花柄のマスクがひとつできた。
3時頃庭に出て、昨日から汲み置いた水をバケツに入れて、目高を網で掬っていれた。水がめの中をたわしでこすって汚れを落とし、水を二回替えてきれいにし、新しい水で満たした。
庭には二つの水がめが置いてあるがひとつは一昨日掃除しをして、昨日、目高を新しい水を入れた水がめに戻した。
昨日、目高をきれいな水に戻した水がめの近くに桃の木が植えたある。よく見ると小さな実がたくさんなっている。実がすべて大きくなると木に負担がかかるので、より小さな実を滴果した。
かんたんにできるつもりだったがはじめるととても大変。脚立を持ってきて、あちこちに移動して小さな実をもいだ。桃の葉っぱに病変が見られたので、実をとりながら葉っぱをむしりとった。縮葉病という名の病気だったろうか。葉の表面が赤くなりふくらんで縮れる。病気の葉っぱは取り除くしかない。この病気が出る前に消毒をするのがいいのだが、病気が出た後に消毒してもあまり効き目がないようだ。
うまくいけば病気の葉を取り除くことで全体に広がるのを止めることができる。まるでコロナウィルスの病気みたいだ。
植物にも動物と同じようにさまざまな病気があり、宿敵の虫もいる。生きることはどんな命にとっても困難なことが多い。それでも庭で何年も何十年も生きているのだからたくましい。
この春、今までで一番くらいのきれいな花を咲かせてくれた桃の木。桃の実はそんなに期待していない。樹に負担がかからない程度の実がいくつかなってくれればいいかな。