久しぶりに晴れた

久しぶりに陽射しがたっぷりと注がれた。

昨日洗濯し乾かなかった洗濯ものが乾いたので、今日も洗濯をした。

庭に置いてある目高の水がめのひとつの水を取り替えた。二匹の目高を掬って、一昨日に水を張った小さな洗面器に入れ、水瓶の水をせんぶ捨て、新しい水道水を注いだ。

 一昼夜置いてから明日、目高を水瓶に返す。

 庭のすももの収穫もした。木の下のほうは実が少なくなったので、脚立のいちばん上から次の段までのぼって立ち上がりとった。さらに高いところのすももは高枝鋏を使ったが、半分くらいは挟んだところから落ちて実に傷がついてしまう。

 だが大粒のすももは傷がついても食べてみるとすごくおいしい。傷ついてすぐならば食べることにした。すももの実をとり始めて最初の頃より、今のほうが甘味が増しておいしくなった。

 採ったすももは向かいの家と、斜め向かいの家、わが家の2階にも持って行った。3時頃、美容院に行くため駅まで歩いたが途中にある叔父の家にも持って行った。叔父は昨年亡くなったが奥さんや従妹がいる。この家の敷地は亡くなった母の実家があったところなので時々訪ねたくなる。

 いつも行く美容院は混んでいて、指名した人は2時間半ほど待たなければいけない。しかたなく、店をいったん出て買い物をして時間をつぶし、6時頃美容院に戻った。

カットだけなので6時半には終えることができた。

 夕食の買い物をした家路を急いだ。最寄駅から家まで歩きながら、老犬ももこのことを考えた。2016年の8月に死んでから昨年までは、外出して帰宅するとき、家にももこが待っているような気がした。ももこがいるので急いで帰らないと、という気持ちがどこかに残っていた。

 だがその気持ちが少し薄れたのを今日は感じた。もう家にはももこはいないと思っている自分に気づいた。いなくてもいるように感じていたころがなつかしく思えた。

 でも、どこかでももこは家にいる、柴犬レオも家にいると思っている自分がいることも確か。