昨日はどたばたした一日だった。
一昨日、歌会の先生に詠草を速達便で送ったのだが、昨日の午後、先生よりまだ届かないと電話があった。先生のペンネーム(本名ではなく)を宛て書きに書いているので、それで配達員の人が間違えたのではないかと先生が話した。
今までペンネームで届いたのに急にそんなことはないはずと思った。郵便局に電話をして確かめてみると言い、電話を切った。先生のご自宅には登戸郵便局から配達されるとのことで、電話をすると音声のメッセージが流れた。新型コロナウィルスがどうのこの・・・・・・・・と。
あっと思い、日本郵便のお客様サービスセンターに電話すると、登戸郵便局は4月14日に職員の感染がわかり一時休業し、再開をしようとした矢先の17日、また感染者が出てそれからずっと休業しているとのこと。14日から郵便物の配達は止まっていると言われた。昨日の時点で再開の見通しはたっていなかった。
このことを歌会の仲間と先生に電話をした。4月13日に投函した封書と22日に投函した速達便の2通がどちらも配達されていない可能性が高いことを話した。
登戸郵便局は今日24日から再開したが、そんなことは昨日わからなかったので、しかたなく先生の添削や講評は同封せずに歌会の詠草のプリントをみなさんに昨日送った。
昨日の夕方になり、町内会のまとめ役の方が来て、回覧板の中止と町会費の徴収の延期を伝えた。わたしは今年度の町内会の係りだったからだ。
町会費の徴収の時期が近づき、感染対策をどうしようかと思っていたのでは延期になってほっとした。今のところ徴収の時期は7月になりそうだがこれも感染拡大がどこまで続くかで変わりそうだ。
昨日はより身近にコロナウィルスが迫ってきたと思った。
昨日お亡くなりになった岡江久美子さん。ご自宅が近いのでこのことも迫ってきたと感じさせた。
アメリカのニューヨーク州で行われた抗体検査の結果も、東京の潜在的な感染者数の類推につながり、つくづく怖いと思った。この町に、この商店街に、この川沿いを歩いたり走っている人たちに、この道ですれ違う人たちに感染者がいるというのはぜんぜん妄想などではない。現実なのだ。
何日か前から、わたしとすれ違う人が急に早足になったり、道の端に避けることに気づいた。実はわたしも同じようなことをしている。互いに怖いと思っている。もしかしたら無意識かもしれないが人を避けるような条件反射が身に付いてきたのかも。
昨日から40本ほど生垣に植えているベニカナメの刈り込みを始めた。昨年10月の水害で泥水に浸かった取っ手の長い植木鋏を砥石で研いで使った。取っ手に泥がこびりつき、刃は赤く錆びていたが研げばきれいが銀色に。思ったより切れ味が良く、父が残してくれた植木鋏をまた使えることがうれしい。
今日の刈込の続きをした。剪定ということばより刈り込みということがふさわしい。高さを揃えて壁のようなかたちに木を成形するから。
まだまだベニカナメの刈込は続く。これからがいちばん大変。陽当たりがよくおうせいに繁った枝葉を切らなければいけないから。
東京の感染者数がまた増加に転じた。潜在的な感染者の数があるので、PCR検査をすればするほど感染者は明らかになり、数は増えるだろう。医療崩壊が怖い。自宅で待機とか療養とか、この病気の場合あり得ないと思う。せめてホテルなどの施設で待機、療養したほうがいい。ほんとうは感染拡大の初期のように軽症者はせめて入院した方がいいのだが病室が足りないから仕方ない。無症状の人は施設で待機、療養すればいいが。
岡江久美子さんの遺骨は葬儀社の人によりご自宅の玄関先に花束とともに置かれた。ご家族に直接の手渡しもできない。なんて寂しい帰宅だろう。
遺骨持つ家族に門扉は閉じられて乾いた音立ついつもの音が
詠草を速達便にて送れどもコロナウィルスに阻まれ届かず