菩提寺の庭にうぐいすが来た

ほどほどの陽射しがあるが気温はあまり上がらない。桜の花は早く咲いたがその後、春が足踏みしている感じ。

 庭仕事は今日はお休み。3月半ばに球根を植えた鷺草の水やりや、クレマチスやチューリップなどの植木鉢を陽当たりに移動するなどをした。

 一昨日が誕生日だった友だちにおめでとうのメールを送ったがその返事のメールに、今日の午後に電話をするとあった。

 時間通りに電話があり、1時間ほど話した。ほとんどコロナウィルス関連の話だ。志村けんさんと同世代のわたしたち。友だちは志村さんの郷里の近くの街に住んでいるので、地元の話も出た。

 あと、電話を使った詐欺の話もした。友だちのところにはあやしい電話が多いので留守電にしていて、声を聞いて電話に出るという。

 また電話をするとお互いに言い、電話を切った。

 庭に出てほぼ満開のコデマリの枝を数本と、ラナンキュラス、チューリップの花を切って水切りした。

 花たちが水を吸っている間にコンビニに行った。昨年10月11日の水害の被災者に対して義援金が区に寄せられていて、それを被害の軽重により分配してくれるとのこと。その申請書には振り込み先銀行がわかるように通帳のコピーが必要なので、コンビニに取りに行ったのである。いただけるものはありがたくいただきたい。

 家に帰り、花たちを持って菩提寺へ。週末ということもあり、コロナウィルスで遠出ができないためもあるのか、いつもより町に人が多いような気がする。散歩する夫婦、ジョギングする人、近くの川で釣りをする親子・・・・・・・・。

 早くコロナウィルスが終息してほしい。町に静けさが戻ってほしい。川で水遊びをする親子が最近増えて、川べりを踏み固めるためか、わたしの大好きな半夏生の芽がほとんど出ない。恨めし気に遊ぶ親子を眺めた。近場でなく、遊園地にでも遊びに行ってほしいが無理だろう。近くの公園に親子が目立ち、公園クラスターが生まれないかとやや不安だ。

 菩提寺春分も過ぎ、誰もいないだろうと思ったが、若い男性ふたりが帰るところだった。お線香に火をつけて慕地に行こうとすると、また若い男性がひとりふらっと入ってきた。

 鳴き方の練習をしているうぐいすの声があるが姿がみえない。張りのある声が見事だ。堂々といろいろな歌い方を試しているようだ。こうした方がもっときれいに聴こえるという、うぐいすの工夫が伝わってくるようだ。

 すぐ近くで鳴いているのに姿が見えないもどかしさ、だが姿を追わない方がいい。声だけを愛したほうがいい。追えば逃げるよう気がする。

 昔読んだ小説に、うぐいすを籠で飼い、餌を工夫して美声で歌わせ、この声、鳴き方を競う競技が描かれているものがあった。多分、谷崎潤一郎の『春琴抄』だったと思うが確かではない。その描写が印象に残っている。小説は物語の筋より、エピソードや細かい描写が好きだ。

 このうぐいすに会うため、またお寺に来たくなった。

 

 東京のコロナウィルス感染者はまた最多を更新した。4日連続過去最多を更新。今日は197人だ。このペースだと医療崩壊はもうすでにおこっている可能性がある。

 朝日新聞の今日の朝刊に気になる記事が出ていた。発熱や咳の症状のある患者を受け入れる病院が少なくなり、救急搬送先の病院が決まらない事例が増えているそうだ。結局、救急救命センターで受け入れることになり、本来の重症患者の受け入れができない事態になっていると書いてある。

 けがや他の病気で搬送された患者が後で感染がわかる事例も増えている。肺炎が疑われる高熱患者が十数件の病院に搬送を断られる事例もあったそうだ。

 病気になれず、ケガもできない。

 コロナウィルスの感染が日本で始まった頃、どうせこの病気にかかるのなら、早い時期のほうが医療資源に余裕があるし、症例の研究材料にもなるし、いいのかもしれないと思った。もちろん、命に関わる病気に感染しないのがいちばん。