映画『天気の子』を観に行った

 久しぶりに映画を見に行こうと思い立ち、新海誠監督のアニメーション映画『天気の子』を観に行った。

 朝日新聞の映画評を読んだこともこの映画を選んだ理由のひとつ。

 二子玉多摩川のシネライズにバスに乗って行った。上映時間の1時間ほど前にチケットを買ったが、そんなに席が残っていなかった。残っているのは後方や両端の席がほとんどだが一人だったため、わりあいと前のほうの席がとれた。

 東京のどこかの島の森嶋穂高という高校生が家出をし、船で東京にやってくる。彼は職を得ようとするがままならず、ある日、天野陽菜という女の子と出会う。

 この子は死にひんした母親を病室で見守っていた時のある体験によって、天と結ばれてしまい、雨が降っていても晴れに変える能力を持つようになる。

 現実の東京も6月、7月と日照時間が例年に比べて極端に短いが、映画の中の東京も雨が降っている場面が多い。晴れ女の陽菜が晴れを願うときだけ映画では晴れる感じ。

 新宿、渋谷、池袋など雨が降っている見慣れた街がアニメーションで再現され、現実の雨の東京とも重なり合う。映画の中の雨の東京もいいものだと思った。

 晴れの場面でいちばん印象に残っているのは神宮外苑の花火大会のために陽菜が雨を晴れに変えたとき。夕方近く、主催者もあきらめかけたとき、みるみる天気が変わり、美しい夕焼け空がひろがる。その後の花火もきれいだった。

 天気を雨から晴れに変えることで多くの人に喜んでもらえるが実は代償として陽菜は自らを人柱にしなけれないけない。

 新宿近くの古いビルの上に神社があり、ここで陽菜は天気を変える能力に目覚めたのだが、このビルが実におもしろい。近代的な高層ビルが多い新宿界隈で異彩を放っている。実際にある代々木会館のビルをモデルにしたようだ(屋上の神社は創作だが)。

 現実の東京は明日あたりから晴れ間が出るようになり、そろそろ梅雨明けも近いが映画の中の東京はどうなるかというと・・・・・・・・。

 多くの人の幸せのためならひとりの人が犠牲になってもいいのかとか、近代的な都市が内在しているもろさ(自然災害にも、人的なテロにも)、自然をコントロールすることはどこまで許されるのかとか、この映画によってさまざまな問いが投げかけられる。

 最初から最後まで見る楽しさを満喫させてくれた映画。

 音楽も映画の内容を倍加するメッセージ性を持っている。