百日草と朝顔を定植する

 今日も朝から陽ざしがあった。植木鉢を日の当たる場所に移動した。日照時間が短い梅雨時は日のあたる時間が貴重で、草花がうまく育つように、花を咲かせられるように陽ざしになるべく長い時間あたるようにする。

 先週の半ばごろから詠った短歌をワードに入力し、新しい短歌も作った。

 先週は心を不安定にする出来事があり、そのためか睡眠も不安定になった。寝つきはいいのだが途中目が覚めてしまい、そのあとなかなか寝付けず、やっと眠ると次は8時ころ目が覚める。睡眠を不安定にしているのは歌会の仲間の言動が関係していて、そのことにとらわれている限り、前の状態には戻らないような気がする。

 ただ、いつまでもとらわれているのは自分にとって良くないし、相手を厭う気持ちが強くなりそうなので、早く解放されたいと思う。

 短歌を作ることは解放されたいという気持ちを後押ししてくれる。短歌を詠う時はわたしのこころは自由になるからだ。 

 午前中、百日草と朝顔プランターに定植したかったが、何かほかにやることができて(短歌を作ることだろうか)やれなくなった。

 昼食後しばらくしてから庭に出て、二つの大きなプランターから古い土を四分の一ほど取って、新しい培養土を入れた。細長いプランターには朝顔の苗を4つ、大きな長方形のプランターには百日草の苗を10個ほど植えた。10個は多すぎるのだが、中にはうまく成長しない苗もあることを見越して多めに植えた。

 ここ数年、種子を蒔いた後の苗の成長があまりよくなくて、花がきれいに咲かないのが寂しい。何か良くないことがあるのだろう。種子を蒔く土を変えるとか、蒔く時期を変えるとか、次からは工夫してみたい。

 夕方はバスに乗って等々力駅前のカフェに行った。島田修二の歌集『渚の日々』を持って行き、読んだ。最近よく読んでいる歌集とまったく違う傾向の歌集だが、この歌人がけっこう好きでときどき読み返して楽しんでいる。