昨夜、犬の夢を見た

 覚め際かに見た夢かどうか思い出せないが、久しぶりに老犬ももこが夢に出てきた。
 夢の中で「あ、レオだ」と思ったが覚めた後、思い返すとももこのように思えた。
 こんな夢だ。真夜中に目覚めて、自室を出てトイレに行こうとする。その前に部屋で眠っている犬が起きて、他の部屋に行かないように他の部屋に通じている扉を閉める。トイレに入ると廊下からくぐもった犬の声が聞こえる。おおう、というような鳴き声。トイレの扉を開けると廊下に壁にもたれるような感じで犬が横座りになっている。夢の中ではレオだと思い、そこで目が覚めた。
 目覚めてももこの夢だと気づいたのは鳴き声が生前のももこに似ていたから。ももこはわたしに向かってワンと吠えたことがなかった。他の犬には1〜2回あったかもしれない。わたしに対しては「おう」というようなくぐもった鳴き方をした。なにかをしてほしくてその思いが声に凝縮したような声だった。そばにいて耳を傾けないと聞こえないような鳴き声だ。たいていは外に連れて行ってほしい、おしっこがしたい時に鳴いた。
 ももこの鳴き声を夢の中で聞いてなつかしくてたまらなくなった。昼間も廊下にももこがまだいるような気持ちになった。夢を見なければももこの鳴き声を思い出さなかっただろう。ももこが夢に来て、思い出してほしくて鳴いたのだろうか。
 この夢が関係しているわけではないが、今日は古い短歌を読みたくなった。特に西行法師の歌が読みたくなったがわが家には西行の歌が読める本がほとんどない。唯一あるのが白洲正子の『わたしの百人一首』で、西行式子内親王和泉式部などの歌を読んだ。
 これだけでは物足りなくて本棚を物色すると高校生のときに親に買ってもらった河出書房の日本文学全集を見つけた。『日本文学全集29 現代詩歌集』に収録している石川啄木の『一握の砂』を読み始めた。


 夢に来てくぐもる声で鳴く犬を目覚めて思へばなつかしさ増す