午後は晴れたのでお墓参りへ

 午前中は雲が厚く垂れこめ、こんな感じの一日なのかと思っていた。
 お昼頃から陽射しがさすようになり、急いで洗濯機を回した。芽生えた矢車草とカワラナデシコの鉢も駐車場の日なたに移動させた。
 その時、知り合いのご夫婦が通りかかり、奥さんの手に花束があったのでお墓参りですかと聞いた。近所のお寺に行くところとのこと。この寺は父が最初に墓を作ろうとしたところだがあいにく空いた墓地がなく、現在のお寺に墓を作った。その後、近所の評判を聞くと現在のお寺のほうがだんぜんいいと思うようになった。
 父が最初に墓作りを検討した寺は檀家への要求が多くしかも強く、多分、わたしはうまくおつきあいできないと思った。信仰心の薄いわたしはかなりいい加減で、父母のために墓参りをしたり最低限の法要などをしているが檀家としての自覚はまったくないのである。こういうわたしでなんとかなっているところが現在のお寺のいいところで感謝している。
 ただ、最初は現在のお寺にやや反発を感じていたのは年老いた父より多額の御布施を、うまく話しを持って行き出させるようにしたからだ。父がこの寺に墓地の権利を買ってから20年以上墓を作らず、もちろん管理費も渡さず、年に2回の法要にも顔を出しことはなかった。そのことを住職は嫌味っぽく言い、わたしはそんなものなのかと思った。お寺は死んでから付き合うものではなく、生きているうちにつきあうもの、というようなことも言われた。 
 ただ、父も母もわたしも信仰心が薄く、生きている間にお寺に出入りすることなど思いもよらなかった。わたしも父母の墓がなければお寺とはほぼ無縁である。例えば市民墓地のようなところならお寺との付き合いはもっと薄くなっているだろう。父の御布施はかなりの効果があり、葬式のとき手厚く念仏を唱えてくれ、葬儀のいっさいと葬儀後のお清めの席もお寺を使わしてもらった。家から近いので家族の負担が少なく、近所の人も参列しやすかったのはよかった。
 話が長くなったが墓参りに行くご夫婦を見て、わたしも行こうと思った。
 庭の百日草を2本切り、水切りをした。その間に近くの店に買い物に行き、種まきをした。2週間以上前に蒔いても芽が出ないアグロステンマという花の種を再度蒔いた。種まき後、強い雨に打たれて種が土にのめりこみ、発芽しないかもしれないと思ったからだ。
 1時間ほど水に漬けた花を持って墓参りに行った。ほとんどのお墓に花が供えられている。わが家の墓には1週間以上前から花が供えられている。一度、新しい花を追加して傷んだ花を取り除いてあるので今日もきれいだった。

窓閉めるわが目の先に十三夜逝きし犬の目の丸さに浮かぶ





こぼれ種から植木鉢に咲いたビオラ
この春に花壇で咲いていたもの

芽が出た矢車草とカワラナデシコ
他に4種類の草花の種を蒔いたがまだ芽が出ない

葡萄は鳥に食べられ、少しづつ少なく

西日に光る葉鶏頭とコスモス

子メダカを移した水瓶
普段は網目の細かいネットをかぶせている