「縄文」展を観に行く

 台風は思ったより早く東方向に進路を変え、それほど風雨が強くならなかった。
 朝6時頃目が覚めると雨も風も止んでいた。神社でのラジオ体操は変わりなく行われた。明日が神社でのラジオ体操の最後の日となる。
 曇り空から晴れ間がのぞき、暑くなるかなと思ったがそれほどではない。
 思い立って、8月中に行きたいと思っていた東京国立博物館で開催中の「縄文」展を観るためでかけた。
 いつものようにJR上野駅・公園口の改札を出て、東京国立博物館へ。途中の広い水場にいくつもの噴水がさまざまな高さに変化するのをしばらく立ち止まって眺めた。
 平成館で開かれている「縄文」展はそれほど混みあっていなかったのでひと安心。
 解説文を書いたパネルを読みながら、ひとうひとつじっくりと鑑賞できた。
 ほぼ1万年続いた縄文時代の創成期から晩期に至るまでの縄文土器の変遷は見応えがあった。縄文時代の語源となった縄で文様をつけた土器から粘土を貼り付けた火焔k型土器にいたる変化は目を見張るようなドラマを感じた。美意識の変化は何がもたらしたものなのか。
 たくさんのさまざまな土偶にも感動した。国宝に認定された「縄文のビーナス」や「仮面の女神」「縄文の女神」「合掌土偶」「中空土偶」はもちろんすばらしいが、他にも見どころが多く、かなりの時間を使って見た。
 縄文人が犬を猟のパートナーとしていたことも縄文人に身近にしてくれた。犬の土偶は猟の対象である猪よりも大きく作られているのもおもしろい。とても巧みに作られた猪の土偶があり、興奮して背中の毛が立っている有様をみごとに形にしている。猪のこどもの土偶は横長の線がいく筋も入っている。
 縄文土器に話しが戻るが実用性に欠けているものが多いのが不思議。造形的に優れたものは実用ではなく、違う目的に使われ、それらは実用的な土器より強固に作られているので後世に残ったのだろうか。