夏至の日に半夏生の絵を描いた

 今日は夏至の日で一年でいちばん昼間の時間が長い。
 夏至は寂しい思い出ばかりがある。父母の晩年は日の長い季節になっても早く雨戸を閉めるので、部屋のなかが外の明るさに取り残されているような寂しさを味わった。年老いた父は早く一日を終わりにしたかったのだろう。体調が良くない時は日中でもよく横になっていた。
 柴犬レオが亡くなったのが6月15日だったのでその後に迎えた夏至は寂しくて辛くて苦しくて今思い出しても苦しくなるほど。老犬ももこは8月26日に亡くなったが6月には腎不全の末期でいつ逝ってもおかしくない状態で夏至までこの世にいるだろうかと危ぶんだ。ももこはがんばって8月まで生き長らえてくれた。ももこはほんとうはもっと生きていたかったと思う。ぎりぎりまでわたしのそばにいてくれた。
 夏至の日にこんなことばかり考えていたのではない。
 午前中はいつものように近くの特別支援学校に行き、校内のカフェで友だちや知人と珈琲やたわいのない話を楽しんだ。常連といわれる人が多くなりカフェはにぎわい、実習授業は充実しているように思える。客同士のおしゃべりに夢中になり、生徒さんとのやりとりが少なくなるのは気になるが・・・・・・。カフェでの接客や飲み物を作るなどの実習をサポートしたいという気持ちがこのカフェに通い始めた理由のひとつであるから。もうひとつの理由は、カフェでのんびり飲物を味わいくつろぐことができたからだ。
 残り少なくなった庭のすもも。特別支援学校から帰り、最後のひとがんばりで収穫した。友だちがジャムを作るのでほしいと言い、取りに来てくれた。自家用のジャムの分も収穫した。あとは鳥たちに残しておこう。わたしが脚立に上り、高枝鋏を上に伸ばしても鳥は逃げずにすももを狙っていた。わたしが危害を加えないと知っているのか,すももの甘い香りに危険を忘れたか。
 朝から空いた時間に半夏生の絵を描いた。写真を見て鉛筆スケッチしたものに色づけをした。緑の濃淡だけで表現するのはむづかしかった。

 爛熟と言いたきほどのすももの実 枝に垂れて蜜を吹き出す

 高枝の鋏を空に向けたるにすももを狙う鳥は逃げざり