すももを収穫

 昨日から庭に植えてある2本の木からすももを収穫しはじめた。
 熟したすももは果汁が多くて甘い。一昨々年の今頃、老犬ももことすももを競うようにして食べた。いや、そんなにたくさんはあげなかった。わたしが食べながらときどきペティナイフで切った小片ををももこにやった。ももこはわたしのそばから離れず、いつくれるかと目はすももに釘付けだった。とても楽しい思い出だ。あのときのももこは食欲旺盛で一日2回の食餌だけでは満足しなかった。いま思えばもっと食べさせてあげたかった。翌年には食べられなくなったのだから。
 すももには柴犬レオとの思い出もある。悲しい思い出である。レオが死んだのは6月15日。明日が命日である。5年前の6月。梅の収穫が一段落した時にレオは逝った。レオがいなくなり、すぐたわわに実ったすももが赤くなり、わたしは仕方なくすももをもいだ。気持ちはすももどころではなかったが、赤くなった果実をそのままにはできなかった。収穫したすももをいろいろな人に配った。レオがいなくなった喪失感と赤いすももはわたしの中で重なっている。
 二匹の犬たちをわたしに思い出させるすもも。今年もありがとう。
 午前中は近くの特別支援学校のカフェに行き、今朝収穫したすももを友だちや知人にあげた。三袋分を。校内の売店では生徒さんたちが栽培した茄子とズッキーニを一袋づつ買った。美味しい珈琲を楽しんだ。
 午後は引き続きすももを収穫し、実のなっていない伸びた枝を剪定した。通りかった近所の奥さんにすももを一袋あげた。右隣の奥さんにも。
 すももの木は亡くなった父が13年前に植えたもので、父が他界した2011年から実がたくさんなるようになった。父はすももを植えたことさえ忘れていたかもしれない。その父にすももを見せた。お父さんが植えたすももの木にこんな美味しそうなすももがいっぱい成ったよと。