武蔵小杉の歌会へ


史上初の米朝首脳会談シンガポールで開催される日。
 いつもより1時間ほど遅く目覚め、午前中は忙しかった。
 今日は燃えるゴミ出しの日。先週の梅の収穫でたくさんのゴミがでた。傷んだ梅や剪定した梅の枝・・・・・・。腐ってどろどろになった梅は重い。傷んだ梅は水分を出すのでその水分を捨ててからゴミ袋にまとめた。梅の枝も5束ほど。夾竹桃の花が落ち、雨に打たれて地面に張り付いているのを掃きよせた。朝食前に小一時間ほどかかった。
 朝食はテレビを見ながら食べた。セント―サ島に移動する車の列を見ながら。
 10時半ごろから近くの特別支援学校へ。友だちや知人とのひとときは楽しかったが午後からの歌会に行くのに時間のゆとりがなくなった。急いで昼食を軽く食べ、家を出て歌会の会場に着いたのはちょうど歌会が始まる1時。わたし以外の方はぜんいんそろっていた。10分前には着きたかった。次は時間配分をもっと気を付けよう。
 父について詠った歌は意味がよくわからないと言われた。わたしにとっては思いを込めた歌なのでわからないと言われて落ち込んだ。だが受け止めるしかない。父や母の歌を詠いたいのだが思いが強すぎて、独りよがりになる傾向がある。
 もうひとつの詠草は

 麦秋の村を走る単線の赤き電車ひとかげ三人(みたり)

 先生は「赤き電車」の赤い色がこの歌では効果的ではない。さらに字足らずを指摘された。

 麦秋の村を走れる単線の一輌電車ひとかげ三人 (先生が添削されたもの)  こちらは字余りに

歌会を終え、先生や仲間と店に入り談笑した。短歌の話はあまりせずになぜか戦前の話になった。わたしはまだ生まれていないので話す側でなく聞く側に回った。東京の大空襲を当時家族と住んでいた日本橋で体験したという仲間のひとりの話は特に印象に残った。B29の爆音はいまでも覚えてゐるという。家族は無事だったが家は燃えたそうだ。もう一人の仲間は戦争が終結する25日前に父親が機銃掃射で頭を打たれ亡くなった。あと少しで平和な日本が訪れたというのに。
 米朝首脳会談が平和をもたらすものになるよう心から願っている。


 今日詠んだ歌

 腐れ梅袋に入れて捨つる朝シンガポール米朝首脳会ふ