柴犬レオの命日

 

昨日撮った写真、咲き初めたアガパンサス

 朝はそれほど強い雨ではなかった。午前中、時間が進むにつれて本格的な雨になった。
 図書館に予約した本を取りに行こうと車に乗ったころから強い雨が降りはじめた。雨の中、玉堤道路を走ると右手に対岸の高層ビルが廃墟のように歪んで見えた。雨が斜めに流れるウィンドウ越しのビルが歪んで見えたようだ。
 図書館には借りていた本を11冊持って行き、そのうち4冊を返し、あと7冊は再度借りた。予約した雑誌を一冊と新しい本、計2冊を新たに借りた。雑誌は平凡社刊の「こころ」という隔月刊誌で歌人岡野弘彦氏が発表した短歌が掲載されている。昨年亡くなった奥さんへの挽歌が50首、「春の塔」という題でまとめられている。
 もう一冊の新しく借りた本は太宰治の紀行文『津軽』である。BSプレミアムのアーカイブを見て読みたくなった。太宰治は何冊か読んでいるが津軽読んでいなかった。
 本を載せて家に帰る頃は雨は小降りになった。
 家に到着し、小雨の中を傘をさして買い物にでかけた。
 今日は柴犬レオの命日。5年目の6月15日の12時少し過ぎレオはこの世を旅立った。前の夜は夕食を食べ、食後には駐車場に出て近所の犬と会った。レオは広縁(居間と続きの庭に面した部屋)で眠りについたので、起こさないようにそのまま寝かせ、わたしは自室で眠りについた。夜中、レオの奇妙な泣き声で目が覚めた。あの時、レオは高熱は発していたがわたしは気付かなかった。レオを落ち着かせるために水を飲ましたり、軽く食べさせようとした。水はびっくりするほどたくさん飲んだ。
 いまでも後悔しているのはレオを落ち着かせようと思い、抱いて外に連れ出しことだ。その前までは夜中に起きて興奮して歩き回ったりするときに外に連れ出し、おしっこを落ち着くことがよくあった。いままでと同じと思ったわたしが浅はかだった。高熱のレオを外に連れ出すなんて!これ以上書くと辛いので・・・・・・・
 5年前はまだ庭のすももは熟していなかったし、アガパンサスはまだつぼみだった。5年前は大輪のダリアが一輪咲いて、家から葬儀場に運ばれていくレオを見送ったが今年はまだ咲かない。
 わが家の隣は古い家を三軒こわし、新しい家が二軒たった。斜め向かいは3軒の長屋形式の家が建っていたがこわされ、屋上テラス付きの家が1軒建った。5年の歳月はいろいろなことに変化をもたらした。わたしも5才歳を取った。レオを愛しく思う気持ちが変わらないがこの5年間に新しい犬、老犬ももこを家に迎え入れ、この家から見送った。振り返ってみるとわたしは何をしてきたのだろうとつくづく思う。何かしなければ生きていけないから自分を責める気持ちは少しもない。生きてこられただけよかったと思いたい。
 傘をさしての買い物に心の中のレオを誘っていっしょに歩いた。いつもは老犬ももこも誘い、二匹の犬とわたしが歩くが今日は特別。レオとわたしだけの散歩だ。
 川沿いを歩くと女性が川をのぞき込んでいる。近づいて同じようにのぞき込むと軽鴨の親鳥とひながいた。川の流れはいつもより早いが親子は上流をめざしていた。ひなは5羽。川べりの草むらに入り、なにやらつっついている。つっついては流れに戻り、泳いでいる。親鳥はひとかきふたかきで進むがひなは盛んに足を動かしている。何倍も多い回数を。
 女性と少し話した。ことしは軽鴨のひながいつもより多く孵っているようだと。しばらく前に見た7〜8羽のひなとは別のひなのように見えた。あまり大きくなっていないからだ。何組かの軽鴨の家族がこの川にいるらしい。 
 ひなとの出会いがレオとの散歩に花を添えてくれたように思った。