からだと心を休める日曜日



 朝はまだ雨が降っていなかったがいつからか降り出した。おだやかな雨で雨音がしない静かな日曜日。
 昨日収穫した梅1キログラムを袋に入れ、自由に持って行ってもらおうと昨日の夕方、家の前に置いたのだが誰も持って行かなかった。その梅を朝家の前に置いて、こんどは「梅ジュース、梅酒に使えます。1キログラムの実梅です」と張り紙を出した。
 小雨が降り出したのでどうかなと思ったがお昼過ぎに見に行くと無くなっていた。妙にほっとした気持ちになった。
 同じくお昼過ぎに近くの神社で行われる祭りの奉納金を集めに来た。父母の代から氏子としていくらかの金額を奉納していたのでそのまま続けている。近所の人たちは氏子でない人が多いが人それぞれ、父母も何かのきっかけで氏子になったのだろう。
 家でのんびり過ごすのにぴったりな静かな雨の日。自分の部屋でパソコンに向かったり、本を読んだりして過ごした。灯りのついていない人のいない部屋を背中に背負って、唯一灯がついている部屋で過ごしているとときどき他の部屋が気になる。ときどき他の部屋を見に行くとやはり人も犬もいなくて、そうかと納得してまた自分の部屋に戻る。
 少し前は朝起きて夜眠るまでほとんどの時間を居間で過ごして、自室に戻るのは眠りにつく1〜2時間前ということが多かった。その時は自室に戻ることを「家に帰る」というふうに感じていた。ひとつ屋根の下にあっても居間は「外」で、自室がほんとうの意味の「内」であった。現在のように居間と自室を行き来していると、一日の終わりに自室にの戻るときの安堵心がなつかしい。そういう生活にいつでも戻れるのだが、問題点はインターネットが無線でつながりにくいということ。自室だと接続がスムーズなため、パソコンを操作するときは自室に来るしかない。

 部屋に置く熟し梅にほひ色極まりて腐りゆきたり


傘をさして紫陽花の写真を撮ったので傘の端が写っている