午前は庭仕事、午後は短歌を詠む

 今日も陽射しがたっぷりと注ぐが風が強かった。茎の長いチューリップや矢車草は風にしない折れそうに見えた。
 時間があまりないので短く書くことにする。
 午前中は庭に出て、スモモの剪定枝を折って束ねたり、植木鉢の後ろに吹き寄せられた枯葉を掃除した。伸び始めた草を引き抜いた。陽射しが強く気温が上がり、からだを動かすと汗が出てきた。汗をかきはじめて庭仕事をきりあげた。
 植木鉢が乾燥しやすくなり、毎日の水やりが大変になってきた。これから草むしりが大変になるが・・・・・あまり草はきれいにむしらず、ずぼらにしようと思っている。そのほうがバッタやカマキリが棲みやすくなる。目につかないところの草はそのままにするかも。
午後は応募するための題詠をあれこれ考えた。あまりいい歌ができない。うまくできないとわかるだけでも進歩か。
 歌をつくって推敲しているうちにどれがいいのかわからなくなる。わからなくなるのはいい歌ではないからかもしれない。いい歌を作ったときは自分のなかで手応えがある.だがその手応えが空振りのことがある。
 自分の歌を冷静に見るのはほんとうに難しい。

(庭仕事をしたとき桃の木の下にキバナカタクリを植えたことを思い出した。6年間、葉だけを出すが花を咲かせず、一回だけ花を咲かせた後消えて無くなった。キバナカタクリの花が咲いた年に柴犬レオが他界した) 

 六年は葉だけを繁らせ一度だけ花展きたるキバナカタクリ

 ただ一度キバナカタクリ咲きし年 老犬レオはこの世を去りき