この家で春を二度過ごした犬を思い出す

 暑くなく寒くなく過ごしやすい春の一日。庭の花たちにとっても思う存分花の命を輝かすことができる。強い風雨で花は傷むが花を損なうものはなにもない。
 心地よい風に吹かれながらぼちぼちと庭仕事をした。気温が上がり乾きやすくなっている植木鉢に水やりをし、陽のあたるところに何度か鉢を移動させた。小草がはえ始めた庭道の草むしりも。ドクダミとほたるぶくろが入り混じっている一角ではドクダミを引き抜いた。ドクダミの花が好きなのである場所ではドクダミをそのままにしている。
 とりたててなにかをしたということがないのに一日は過ぎてゆく。気になる何人かの歌人の歌を歌友からもらった「現代の歌人140」で読んだ。そのひとりが熊本出身の安永蕗子さん。武蔵小杉の歌会の先生が熊本県八代市の出身で、ときどきこの歌人の話をなさる。漢字の使い方がうまいと言っておられた。短歌はなるべく漢語でなく大和言葉を使ったほうがいいという話をなさるときに、安永さんは漢語を実に巧みに効果的に使うと言われた。
 この言葉を思い出しつつ安永蕗子の歌を読むとなるほどと納得がいった。自然を詠っているが写生的でないところがいいと思った。
 一年に何日あるかというほどおだやかな、しかも花が咲き競う一日をひとりで過ごし、春を共にした老犬ももこを思い出した。ももこがこの家にいた月日は短かったが春と夏は二度この家で過ごしたのである。このおだやかな春の日をももこともう一度過ごしてみたい。庭仕事を終え家の中に戻ると掃き出し窓のそばにももこが眠っている。そろそろ散歩かななどと思いつつ、ももこのそばにいくと顔をついと上げてこちらを見る。こんな一日がどれほど貴重なものだったか。失われて知った。

 小草萌ゆる土につかのまはなやぎをそえるがごとし桜花びら