梅やスモモの木を剪定する

 午前中は昨日の続きで明治神宮月次歌会で詠んだ歌をワードで打ち込んだ。
 歌を詠んだときの気持ちはなんとなくわかるがなんでこんな歌を詠んだのだろうと思う歌がある。ゆとりのないこころが文字から伝わってくるようだ。
 自分が歌った好きな歌もそうでない歌も記録として残しておこう。添削を加えた歌や、同じ題で今の自分だったらこのように詠うという歌も並列して残しておこう。
 お昼前にワード。
 3mまで伸びるもの、4センチの太さの幹が切れるものなど高枝鋏の種類はいろいろある。そのなかで1,5まで伸長でき、1,4センチの枝が切れる軽量だがしっかりした作りのものを選んだ。この軽さこの長さなら脚立に上がっても使えそうだから。
 家に帰る途中、お寺に寄り花立の水を替えお線香をあげた。父の命日に供えた百合があのときはつぼみだったが今はぜんぶ開いている。その開いた花びらを鳥たちがついばんだようだ。せっかく咲いた花を。
 家に帰り、すぐ新しい高枝鋏を試した。梅の木の徒長枝を切った。梅は小枝が混み合っているので枝に鋏の軸が触れつぼみが落ちるのはしかたないと思うようにした。かなり太めの枝も切れた。枝の生え方で切りにくい枝はしかたなく残した。太めの枝はもう一つの高枝鋏にノコギリを取り付けて切った。このノコギリはかなりの優れもの。高い所の太い枝を切ることができる。
スモモの枝も切った。太い枝をノコギリで切り落とした。せっかく枝を伸ばし芽をつけたのにごめんねとこころのなかで詫びた。
 少し腰が痛くなったような気がして5時前に庭仕事を切り上げた。汗をかいたのは気持ちよかった。

 
やさしき目と言われしわが犬の面はまなうらに立つ寒ゆるむ朝

 
命終をさとりたる父はわが犬に墓参りに来よと話しかけき


やせてゆく母の背なかにTシャツの眠る子猫がさびしく見えき