歌会の詠草をまとめたものを発送した

 朝は冷え込みがきつく、目高が棲む庭の水瓶に氷が張った。朝9時近くに水瓶をおおっているござを取り除き、素手で氷を割って水の外に出したのだが少したって見に行くと割ったところにまた薄氷が張っていた。瓶の縁は厚い氷が張っていたので真ん中だけ割ったのだがそこにまた氷が張っていたのだ。
 零下三度になると中途半端な防寒では氷が張るのを防げないようだ。
 歌会をやめるかどうかまで考えたがなんとか歌会に寄せられたみなさんの詠草をワードを使いまとめることができた。ただやめるかどうかを考えたわたしの気持ちはまったくなくなったわけではない。違う何かを求める気持ちがわたしの中に生まれたことは確かなのだ。
 今回のみなさんが出した詠草のなかに1首だけこれは!という歌があった。その他にもいいなという歌がいくつか。いい歌をまとめるのはまとめるほうもやりがいがある。
 ワードで作った文書を一部だけ印刷し、これを元原稿にしてコンビニで人数分のコピーをとった。郵送はみなさんが自分の宛名を書いた封筒に詠草を入れ提出するのでその封筒を使う、宛名書きの煩雑さはない。歌会に出席せずに歌だけFAXや郵送で送ってきた人にはこちらで封筒や切手を使い宛名を書いて郵送した。大雪が降った二日後の歌会だったので欠席者がいつもより多かった。
 コピーをとりにコンビニに行った帰り、近所の知り合いの高齢の女性がショッピングカートを押して買い物に行く姿を見かけた。そのまま帰ろうと思ったがその女性が亡き母が親しくしていた人でもあり、気になってこちらから近づいて声をかけた。いまわたしが行ってきたコンビニに行くところと話した。どうしようか一瞬迷ったがいっしょに行くことにした。息子さんと草していて昼間は家にひとりになる。買い物や食事の用意は息子さんの分もふくめてこの女性やているようだがなんとかく気がかりである。
 案の定というか、コンビニの買い物を手伝い会計をすませる時、コンビニの店員にかごのなかのいくつかのものをこれは数日前に買いましたよとか、2つか3つ買いましたよというものがあった。お米と食卓塩である。そっと棚に戻しておいた。テレビなどで自宅の冷蔵庫に同じものがぎっしりと入っているという高齢者の話を聞くがとうとうこの人もそうなってしまったかとショックだった。
 家の方向が同じなのでいっしょに帰ると、去年の9月に店じまいをした八百屋がまだあるような口ぶりで、何か野菜がほしいからとその店があったところまで歩いた。店はとりこわされ空き地になっている。ないのであきらめたようだが、多分またここに来るような気がする。この店でほとんどの食料品を買っていたその記憶が強く残っていて、店がなくなったことは記憶されなくなったようだ。
 昔の記憶に固執してしまう気持ちはわかるような気がする。


 
 薄氷残る堀端にしなやかに首動かす一羽の大白鳥

 なくなりし八百屋をあるがごとく思ふ老女のこころ少しはわかる