短歌8首を送る

 今日も昨日と同じ厳寒の朝だった。花壇はやっと5割くらいの雪がなくなった。6畳ほどの広さの花壇は対角線で区切ったように雪のあるところとないところにわかれている。
 目高の水瓶は防寒をほどこしても氷が張る。より寒いほうに置いている水瓶は厚い氷が張っている。素手で割り、氷片を外に出した。目高たちがなんとか冬を越すように祈るしかない。
 近所の知人から誘われ、近くの特別支援学校の文化祭を見に行った。体育館の前に舞台があり、そこで1年生、2年生、3年生がそれぞれの出し物を演じた。2年生の終わりのころに席につき、1年生と3年生はぜんぶ見ることができた。1年生はピーターパンを演じた。さまざまな障害を抱えた生徒がぜんいん登場する。ことばをはっきりと話せない生徒の場合は踊るだけにしたり、同じ動作を繰り返したり、ただ座っていたり立っているという参加のしかたもある。セリフが上手に言えない生徒には字幕が舞台脇の液晶パネルに映る。
 先生が舞台で黒子のようになって、生徒のからだを押して舞台の中央に進むよううながしたり、他の障害の軽い生徒が手をとって移動したりもする。物語の世界に入っていない生徒もいるけれどみんなといっしょに参加しているという気持ちは全員あるにちがいない。
 先生の努力によるシナリオや構成はとてもよくできていて、楽しく観ることができた。劇作家ブレヒトが唱えた異化効果がいっぱいの舞台といえるかも。「異化効果」について正確に知っているわけではないが。
 三年生の舞台は学校での3年間を振り返り、社会に旅立つ未来への希望と不安を歌や合奏、ダンスで表現している。舞台脇のパネルでは学校生活の折々を映像で紹介した。何回も通った校内のカフェで接客や珈琲を入れてくれた生徒たちの顔も舞台に見ることができた。喫茶部の授業を受ける生徒は比較的障害が軽いようだ。舞台に立つとほとんど障害があるように感じられない。社会に出てから長い人生を豊かに幸せに生きてほしいと願った。大変なこと辛いこともあるだろうが・・・・・へこたれないで。
 午後は季刊の短歌誌のために8首の歌を発送した。言いわけだがいつになったら粒よりの秀歌を詠えるようになるのだろう。明日という日があれば夢ではないと思いたい。

 真冬にもきらきら光る椿の葉 零下の今朝は緑が沈む

 その後の日々は今も続く老犬を亡くしし真夏の日のありて

 <特別支援学校の文化祭にピーターパンを演じる生徒たちを見て)
 
 舞台の上それぞれの個性を配役に生かすピーターパンの物語

 夢追うためにこどもの時代に別れを告ぐと児らは歌いたり