年の瀬に叔父が入院

 今年も今日と明日を残すだけ。
 昨日の夕方までは慌ただしい思いをしながら、ひとつひとつやりたいこと、やるべきことをこなしていた。お正月の準備の大変さにため息つきつつ、それでも元気に。
 父母が眠る寺に詣で、ともにお正月を迎えようねとの気持ちをこめ、新しい花を手向け、年賀状を少しづつ書き進め、仏壇の掃除、仏間や居間の掃除をした。庭仕事は木槿、梅二本,月桂樹を剪定した。
 だが昨日の夜、母の弟にあたる叔父が入院中との電話を従妹からもらい、愕然とした。来年の誕生日で92歳になる叔父は東京オリンピックまでは、と数年前まではよく話していた。家族もそう思っていたかもしれないが今年は衰えが目立ってきた。あやぶんではいたがゆっくりと衰えてゆく過程にあると思っていた。周囲が思っていた以上に身体のさまざまな機能の衰えが進んでいたようだ。救急車で入院し、入院した当座は明日明後日の命と思うくらい重篤だったようだ。
 今日は午後、叔父を見舞った。二人の従妹とそのこどものひとりも来て、叔父のベッドの脇で話しかけたが意識があるのかどうか定かでない。従妹によると昨日は話しかけると目で答えたり、声を出そうとしたそうだ。帰際に手をあげたそうだ。
 息が苦しそうに見えたのでそんなに長い時間はいなかった。従妹のひとりと病室を出た。もう一人、妹のほうはもうすこしいると言った。
 病院から自由が丘まで歩き、従妹から安くて新鮮と教えてもらったスーパーマーケットで買い物をした。電車で最寄りの駅に行き、パンを買って家に帰った。


 耳圧する救急車のサイレン年の瀬の浮きたつ街に響く

 幼稚園に続く小道ふと見れば幼き吾が笑顔で駆けくる

 ひとつ傘に身を寄せあふ初詣 音なき街を歩きし記憶

 初詣の境内にふるまいのお神酒、いも煮を立つていただく

盆栽の紅梅のつぼみがふくらんできた
ここ数年、花数が少なくなるばかりだったが今年は少しだけ盛り返した