年賀状を出し終え、寂しさも

 大晦日を迎え、朝から墓参りや落ち葉の掃除、最後の買い物などをした。年賀状はお昼前から書き、書き終えたのは4時半ごろ。
 いつもより負担を感じないで年賀状を書くことができた。年賀状用の絵をひと月近く前に描いたこと。年賀状の裏面のレイアウトをよゆうをもってすませたこと。印刷もスムーズにいき、宛名書きを最初にまとめてして、添えることばを最後にしたのがよかったようだ。
 郵便ポストに年賀状を出し終えるとほっとしたと同時に寂しさを感じた。今年中にしたいことをすべて終えた寂しさ。老犬ももこが死んだ昨年が遠ざかる寂しさ。来年になれば、ももこは一昨年に死んだことになる。「おととし」ということばには時間の隔たりがある。「昨年」はまだ近い感じがあるが。
 こうして大切な人、大切な犬が死んだ年が遠ざかっていく。去年のあの頃は・・・・と亡き人、亡き犬を思い出しているうちはまだよかったと今は思う。
 入院している叔父のことは気がかりだが、時間は容赦なく過ぎ、あと6時間もしないうちに2018年を迎える。
 希望を持って新しい年を生きていきたい。

 ブログを訪れてくださった方々、面識のない方がほとんどですがどこかでつながっているような気もします。今年一年ありがとうございます。
 良いお年をお迎えください。
 

寒空のひろがる墓地に供華立ちてただそこだけが光りを放つ

水底に緋色の目高ひそみたり小さき命に遠すぎる春