プラタナスの葉っぱの絵を描く

 今日も日中は陽射しが注ぎ、気温が上がり、おだやかな秋の一日となった。
 いつものように近くの特別支援学校に行き、カフェで珈琲を飲んだ。いつも来る元気なおじさん、犬友だちが先に来ていて同じテーブルに座った。ときどき来る奥さんも加わって話に花が咲いた。犬友だちともっと話したかったがみんなと話している時間が長かった。そこに数か月ぶりくらいにもう一人の犬友だちが来た。他の人たちは帰り、後から来た友だちと少し話しカフェを出た。
 途中までいっしょに歩いてわかれ、わたしは近くの寺に墓参に行った。晴れの日が続き、花立の水を替えるため。いちど花を供えたらできるだけ長持ちさせたい。花は生き物だから放っとけば枯れてしまう。いつかは枯れるができるだけ長くと思う。もちろん、よゆうがなくて放っとくことも多々ある。
 寺を後にして遠回りした。散策にちょうどいい気候だから。大学に構内に植えてあるプラタナスの落葉が道路に散らばっていたので絵を描くために何枚か拾った。桜の落葉も拾った。 
 昼食後は落ち葉の絵を描いた。プラタナスの葉と桜の葉を組み合わせた。プラタナスの葉を描くのははじめて。
 今使っている透明水彩絵の具は、ブラウンとイエローオーカーという茶系の色があるが、こげ茶色やレンガ色など茶系のバリエーションを混色で作るのが難しい。使いこなしていないのかもしれないが、茶系のバリエーションがないと例えば木の枝や土の色、葉の枯れた部分など表現するのが大変だ。水彩色鉛筆を併用しながら色づけした。


 ただひとつカワラナデシコ咲きたるが通りすがりの女(をみな)の心を射つ

 遠き思慕をたどりゆけば良き夫となるをインターネットに知る

 秋深まりカワラナデシコの最後の花の濃き色がわれを見たり

息たへむばかりのバッタ一匹 草むらの墓場に連れてゆく


プラタナスと呼ばれているが正確にはモミジバスズカケノキのようだ