朝から雨。車で二度でかける

 昨日より雨の降る時間が長かった。というかほぼ一日中雨が降り、雨足が強くなったり弱くなったりした。
 午前中、弟が家に来た。いつものようにお茶を出し、短い会話をかわした。雨が降っているのでタクシーを利用したとのこ。あまり家にいる時間は長くなかった。
 お昼前にで図書館にいくつもりだったので車ででかけた。弟が家を出る時間にあわせて車を出し、駅まで送っていけばよかったと思ったがあとの祭りである。
 図書館では予約した本を2冊受け取った。何方も短歌に関した本で、一冊は昨年発刊されたもの。『穂村弘が聞く馬場あき子の波瀾万丈 寂しさが歌の源だから』馬場あき子著である。もう一冊は馬場あき子の歌集『桜花伝承』で昭和52年発刊された本。学校の教師をしていた馬場あき子さんはこの歌集では新かなづかいで歌を詠んでいる。後年、旧かなづかいで歌を詠むようになった。
 図書館からよく行くスーパーマーケットまで車で足を伸ばした。1階の食品売り場でパンなど食品をいくつか買い、2階の生活用品売り場で炬燵布団をチェックした。丸洗いができる布団があり、買いたかったがサイズがこれでいいのか自信がなく、家に帰ってサイズを確認することにした。
 帰りも雨が降っているがライトを点けないで運転できる時間だった。
 家に着き、昼食を少し遅めに食べ、炬燵布団のサイズを確認した。父母が使っていた古い炬燵布団も同じサイズだった。たぶん、今から30年くらい前から使っていたのではないかと推測される布団はよく見ると大きなしみがいくつかあり、こんな布団をよく昨年まで使っていたものだとわれながらあきれる。昔と同じものを使うことで父母がいたときにつながるような気持ちを持っていたのだろう。このことがわたしにとって大切なことだったのだろう。今でも同じ気持ちはあるが、どこかで気持ちを切り替えないと。
 外が暗くなり始めたころ、また車を出してさきほどの店に向かった。行きはスモールライトを点けた。店で炬燵布団を買い、帰りはライトを点灯した。カーブが多い2車線の細い道を運転しながら、前からひきりなしに来る車のライトがウィンドウの水滴に反射し、またまぶしい光が目に入り、とても運転しにくい。雨の夜の日の運転は気を使うが、夜の運転は好きな方だ。
 新しい炬燵布団を用意したので、いつでも炬燵を出せると思い、気持ちにゆとりができた。
 台所に立ち、夕食の支度をしながら、北海道産のかぼちゃがおいしいと教えてくれた八百屋のおじさんを思い出した。9月から10月にかけて出回るかぼちゃで、北海道産と書いてあれば当たりはずれはあるにしても7〜8割はおいしい。父が亡くなった同じ年の夏に他界した血のつながらない近所のおじさんだが、わたしのことをいろいろ気にかけてくれ、わたしもできる限り晩年のおじさんを支えた。こんな雨の日はなぜか会いたくなる。


 家に来る弟に茶を入れるささやかな気持ちがこめられればいい

 対岸のビルの灯りにじむを見る雨の夜に運転しつつ

 暗くなれば車のライトきらめいて感情のある生きもののごとし