彼岸の墓参り、帰りに長めの散歩を

 今日は彼岸の入り(と思ったが翌日の20日が秋の彼岸入りだった)。
 昨日の敬老の日に車で図書館に行ったとき、道路を挟んだ向かい側の花屋で墓参用の花束を買った。そのまま車でお寺に寄り、墓参りをした。
 今日は順序が逆に(?)なるがお墓の清掃と花立の水を見るためにお寺に行った。2種の小菊とリンドウ、赤いカーネーションのこじんまりとした花は昨日と同じように元気に見えた。花立の水はぬるま湯になっていたので冷たい水を加えた。この水に昨日、花が長持ちする薬剤を入れたので水はかえずに減った水を足すだけにした。
 古いタオルを水にひたし固く絞って、墓石をきれいにした。年に4〜5回くらい墓石の清掃をする。次は年末近くになってから。
 お線香をあげ手をあわせてお参りをし、お寺をあとにした。
 秋の雲がたなびき渡る空に誘われて散歩をする気になった。雲を見ているだけで足どりが軽くなる。
 散歩は思いがけず長くなった。多摩川の河原に出て、桜並木の横を歩いた。下草が刈り取られているが彼岸花が咲いているところだけは刈残してある。染井吉野の木の下に群生している。彼岸花はよく見ると不思議な植物。明るい緑色の茎だけが地面から真っすぐに伸び、赤い花を咲かせる。茎の林立するさまがきれいを通り越して不気味(?)にも見える。
 河原からはほぼ全天が見渡せる。その全円の空に雲がたなびき、かすれ、青空が透けて見える。見飽きない秋の空。
 散歩の終わりに野球グラウンドのベンチに座って入日を眺めた。太陽が沈むまぎわ西空はひときわ華やいだ。長く長く余韻をひいていたがいつのまにか潮が引くように灰色の空に戻っていく。ああ終わったと思い、ベンチを立ち上がり河原を去った。
 散歩しながら柴犬レオを思い出した。レオとはたくさんの時間を多摩川の河原で過ごした。老犬ももこのことも思い出した。数えるほどの回数、短い時間だがももこと河原を歩いたから。ベンチの左にはももこ、右にはレオがいるような気持ちになった。


 ひと夏の命の名残りに数知れぬ穴うがたれる庭のおもて

 おほき葉にたまれる水をしずやかに飲み続ける夢のなかの犬

 地の底より響くがごとき風の音怖れつつ未明を眠れず