新年になってから晴れる日が続いたので、どんよりとした天気の日曜日はひとしお寒く感じられる。
朝は老犬ももこの友だち犬やその飼い主さんといつものように散歩した。彼らと別れ、その足で近くのお寺を訪れた。花立にお供えした供華は黄色い千両も赤い千両も実がなくなっていた。鳥が食べたに違いない。水だけを替え手をあわせた。桶に残った水は近くのお墓の花立に注いだ。
家に帰り、その後はほとんど家の中で過ごしている。
居間のエアコンは朝起きたときからオンにして炬燵は中の強さにしている。お日さまが出ないととても寒くなるのを身体で実感している。お昼過ぎからは雨が降り始めた。
昨日は携帯電話のバッテリーが届いたと連絡が数日前にあったので取りに行き、その足で武蔵小杉まで電車で行った。ひとつだけ買いたいものがあったから。駅前の高層ビル群の下を歩きながらある感慨がわきおこった。このビル群の建設中の景色を多摩川の河原で柴犬レオと散歩をしながら対岸から眺め、完成した後も眺めていたがこの街に来ることはなかった。この街に来たのは昨年の9月が初めてでそれからは少なくとも月に一回は訪れている。高層ビルの景色を見るようになってから5年以上はたっていると思う。
多摩川の対岸に高層ビルが見えなかった頃が今思えばレオもわたしも幸せな時でその当時へのなつかしさがあり、変貌した街にどこかで距離を置いていた。その距離を5年かけて少しづつ縮めていったのだろう。
武蔵小杉は住む人にも訪れる人にも便利で快適な街になったように思えるので、これからはときどき訪れるかもしれない。
電車待つときのまにわが家で待つ犬いるやうに思えてならず
対岸に高層ビルを眺める街 今日はビルの下をひとり歩く
厚い雲たれこめるビルの上を夕日が黄身となりくずれる
裸身となる銀杏並木の枝からむ 鴇色(ときいろ)の雲に手を伸ばすごとく
孟宗竹や樫の樹しげり原初の景色にもどりくる街の一角
カーテンを開ければ飛び立つ鳥ありてふくらむ胸もと目に入りぬ
花立の供華糧とし冬枯れの厳しさ鳥たちは生き延ぶ
小さな割れ目散らばる木肌見て咲き初めし花さくらと思へリ
珊瑚色のうす紙ほぐれ名の知らぬさくら花下向きに咲き初む
手のひらの乾燥芋さし出せば思い出のなかのわが犬食べる
これは昨日撮った写真
紅梅だけは寒の入りの寒さのなか、ひと足早い春を謳歌しているように見える
傍目からはそうでも花は寒さに戸惑っているかもしれないが