老犬のももこの首輪を詠んだ

 朝の庭は雨に濡れていたが日中は陽射しが出て風もなくおだやかな初秋の一日となった。
 5時半ごろ起きたが昨夜二度ほど目が覚め、よく眠れなかったので調子はいまひとつ。
 今日は近くの特別支援学校の売店やカフェが新学期になりはじめて開店する日だったがすっかり忘れてしまった。
 玄関の呼び鈴が二回立て続けに鳴り、そのことが忘れた原因と思われる。一回目は宅急便だったが二回目はわが家と隣家、区の土地の境界線を定めるため、印しとなるものを地面に打ち込むという測量士の人だった。家の前の道路を広くするために現在の境界より18センチだけ敷地を区に寄付することになっており弟がこのことを了解しているようだ。その了解に基づき、プレートを打ち込む。隣家は新しく家を建て直したので18センチ土地が削られたが、わが家は建て直しがあったときに18センチ分を区に渡せばいい。家を建て直さない限りは今のままということになる。
 プレートの打ち込みを確認してほしいとのことで1時間はあまりの作業の後見に行った。あとはこのプレートの位置を記入した測量図を区に提出し、区のチェックを受け諒承されたらこんどはわが家と隣家がその図面と現場を確認し、名前を書き捺印をするとのこと。
 こんなことがあったので特別支援学校のことを思い出しても行けなかったかもしれない。
 「輪」という兼題で月次献詠歌を考えていたら、ふと首輪ということばが浮かんできた。いままで浮かんでこなかったのが不思議だ。さっそくももこの首輪を詠んだ歌をいくつか作ったがどれも気に入らない。妙にひねってしまう。ももこの首輪を手に取るとこの首輪を買ったころのももこが思い出される。どんな気持ちでわたしがこの首輪を買ったのか。ももこがいつまでも元気でいてほしいという気持ちで、ももこに似会うものを探して買った首輪。自分の思いさえも時間が過ぎると忘れていた。忘れたというより心の底に沈めていたというか。いつも思い出していたら泣き暮らすことになるから。
 こころからすっと出た歌が1首あった。ももこの挽歌としてこの歌を献詠歌とすることにした。


 (これは献詠歌ではなく別の歌)

 愛犬の不在いつしかまぎれたるに首輪が呼び起こす記憶のひだ

秋になり、百日草の花色が冴えてきた
薔薇やダリヤも秋に咲く花のほうが深みがあるような気がする