荒木経惟「写狂老人A」を見に行った

 今朝は8時半ごろまで寝過ごしてしまった。3時過ぎに目を覚ましてしまい、しばらく起きていてまた眠ったためである。
 一日のはじまり方がいつもと違い、気持ちをリセットするために出かけたくなった。
 前から荒木経惟の写真展が二か所で開催しているのを知っていたので両方とも行こうと思っていた。今日はそのうち家から遠いところ(とはいってもそんなに遠くない)で開催されているほうに行った。
 東京オペラシティのアートギャラリーで開催中の「写狂老人A」である。東京オペラシティ京王線初台駅から直結している。
 若い頃は新宿駅をよく使う時期が10年近くあってこのあたりは慣れていたが、20年近く新宿から遠ざかっていたのでなんとなく足を運ぶのがおっくうになる。行き慣れたところが行きやすくなるのは年のせいか。
 荒木経惟は『東京は秋』という本を一冊持っているだけだがわたしにとって気になる写真家であり続けた。
 モノクロームの「空百景」はモノクロのせいか空というものをはなれて抽象化した世界を感じた。
 荒木の活動の最初の頃に制作された公開を目的としていないスクラップブックのひとつ「八百屋のおじさん」はすごくおもしろかった。銀座の路地で行商を行う八百屋さん。荒木は彼の笑顔をクローズアップで撮り、行商の日常を引いたところから撮っている。1964年というと東京オリンピックの年だろうか。やたら活気あふれるおじさんの顔や日常がまぶしいほど。もちろん日本はまだ貧しい時代だったが高度成長期の始まりの頃でそのエネルギーがあふれている。個人的には銀座の路地に放し飼いの犬が写っている写真が2枚あり、その犬の表情が気に入った。犬には高度成長など関係がないところがいい。生き物としての悲しみみたいのがあって。
 亡くなった奥さん、荒木陽子さんとの結婚記念日に撮った膨大な写真「写狂老人A日記2017.7.7」。その日、目に入った風景をカメラで写し撮った写真だが、結婚記念日という日付けが意味を持たせているのだろう。その意味は写真をとる人と見る人、そうほうに働く意味だろう。奥さんの命日に撮った写真を集めた写真集もあり、展示会場で見ることができた。
 「切実」というテーマで展示された写真もおもしろい。一枚の写真が二枚に切られたり。切られた片方が別の写真の切った破片にくっつけられたり。恣意的であると同時に意味的でもある。
 写真をこれだけ楽しく面白く見せてくれる荒木氏を堪能した。

 帰りは夕方近くになったが駅前の噴水の前で可愛い柴犬の女の子に会った。小さな池に泳ぐ鯉をじっと見続けている姿がかわいい。顔も姿勢もまったく動かさず。どこがそんなにおもしろいの?と聞きたくなった。


 命継げぬ八月の蝉その声は永久に途絶へき光に焼かれて

 八月の夕ぐれの庭こほろぎころころ耳をすませよと鳴く