蝉が鳴く庭

 7月の初めだろうか。蝉の声が聞こえないのでもう夏なのにどうしたのだろうと思っていた。だが今年も昨年と同じように、今までの夏と同じように蝉の声が聞こえる庭となった。
 柿の木の下、踏み固められた地面にはたくさんの穴があいている。庭石を敷いた庭道(ここも固い)にも穴がたくさんあいている。紫陽花の葉っぱや柿の葉っぱはせみのぬけがらがいっぱい。ランの葉、ミソハギの葉、千両の葉、網戸にも(!)ありとあらゆるところにぬけがらがあるがやはり好みがあるようで、葉っぱなら大きなしっかりとした葉が好きなようだ。
 また蝉の幼虫は固い地面の下を好むようだ。やわらかい土のほうが楽に地上に出られると思うが、固い地面の下のほうが安心できるのだろう。やわらかいということは人の手が入った土だからだ。
 朝夕は虫の声が聞こえるようになり、季節は秋のほうへゆっくりと歩き始めたが蝉たちはまだまだわたしたちの季節と鳴いている。力強い蝉の声を聞いているとまだ夏なのだと思える。
 玄関を出た所の左右に観音竹の大きな鉢植えが二つ置いてある。亡き父が置いたものである。植木鉢の下から根をはり、葉っぱが元気に繁り、出入りのときうっとおしくなってきた。思い切ってのこぎりで根元から数本切った。もう少し切ろうと思い伐る枝をさがしてるとき、かまきりが観音竹の葉にいるのが目に入った。かまきりがこの葉を頼りにしているならこの辺でやめておこうと切り上げた。
 庭にカマキリがいるのは多分、わたしが草引きを怠けているからだろう。草がぼうぼうと生えているほうがカマキリには好都合にちがいない。石を敷き詰められたり、コンクリーで固められた庭、木が植えてあるが下草のない庭はカマキリなどの虫たちは生きられない。
 以前は草をきれいにするのがいいと思っていたが今は適当に草が生えていて虫たちがいる庭のほうがいいと思うようになった。
 葉っぱを食べる毛虫、こちらを襲ってくるスズメバチなどは嫌いだが。

 夜はBS朝日で放映した「原爆が奪った 女学生315名の青春」を見た。原爆投下後、アメリカの調査団が広島に入り、日本人医師も協力しながら、原子爆弾がもたらした人的被害の調査をする。調査結果はすべて調査団が本国に持ち帰り、6巻にまとめられるが最後の6巻は極秘資料として米国でも公表されなかった。
 その6巻目がどのような内容なのかが明らかにされる。原爆投下地点からの距離と、投下されたときどのような建物の中にいたか。距離とその時いた建物の種類(木造かコンクリ−ト可)によって、死者の数、重傷者の数が大幅に違うことを調査団はある資料から具体的に知ることとなる。原爆投下時に勤労奉仕で市内五か所にいた「安田高等女学校」の生徒がどのような状態になったかを詳細に記述した学校の記録がその資料である。この記録を入手し、調査団は知りたいことを知りえたという興奮を感じる・・・・・・・。
 原爆投下で命を失った12歳から16歳の女学生の運命になんの思いを抱くことなく、調査をまっとうすることだけを考えた彼らにおぞましさを感じ、テレビを消そうと思ったがぐっと我慢して最後まで見た。
 嫌なものから目を逸らすだけではいけないと思ったから。
 人間はある目標を持つとそれを達成することにすべてを注いでしまい、それ以外のことが見えにくくなる。彼ら調査団がなんでこんなに非人道的なのかと思ったが、人間は誰でもなりうるとも思った。そうなってはいけない。彼らを反面教師にして。

 盛大に生まれ盛大にひと夏を鳴き盛大に死んでゆくなり

 鷺草のみっつよっつが咲き始め無関係ないよと蝉が鳴いている

 この夏も庭のかしこに穴があき蝉の鳴く夏変わらぬ夏が

 雨戸の中に孵化したる蝉をりて開ければやれやれと飛び立つ