盆のお墓参りに行く

 東京の梅雨はもう明けたのではないだろうか。夏空がひろがり日中は連日、真夏日である。
 夜寝苦しいためか眠りが浅いような気がする。いつもと同じ時間眠っていても疲れがとれない。
 昼食後、エアコンをつけている居間の隣の部屋(仏間)で昼寝をした。居間はエアコンの風が直接あたり昼寝すると身体が冷えることがある。となりの部屋のほうがちょうどよい涼しさだがそれでも夏掛けをかけて昼寝した。
 起きたのが4時過ぎであわてて墓参りに行った。昨日が盆の入りだが行けなかったので今日は行かなくては、とずっと思っていた。朝方はゴミ回収の日なので庭の掃除などをしているうちに陽射しが強くなり行けなくなった。
 近くの菩提寺の墓地は強い陽射しの一日が終わり、花立の花がぐたっとしている。水がお湯に変わるくらいの陽射しだ。夕方に来てよかったと思った。お寺で購入できる花を二束買って手向けた。水道から出てくる水がぬるま湯になっていた。しばらく出しっぱなしにして、いくらか冷たくなった水を花立に入れた。
 お寺を後にしてコンビニに寄り家に帰った。
 今日は取り立ててなにかをしたということはないが、昨日知人にもらった朝顔の苗を植木鉢に定植した。苗はふたつと思っていたが植えようとしたら苗が三つあった。かなり小さな苗が大きな苗に隠れていた。三つとも植えてあとは花が咲くのを待つばかり。
 図書館から借りてきた永田和宏氏の歌集『後の日々』を読んでいると、「カズヒロ」というタイトルで小中英之の死を悼んだ歌が6首掲載されていた。小中氏の歌集をこの数か月ずっと読み続けてきたので、6首の歌に出会えたことが驚きであると同時にうれしくもあり、悲しくもある。

 風立ちぬ出町柳風立ちぬさびしいぞひとりで死んでいたなんて (永田和宏歌集『後の日々』より)
 
 カズヒロとしか呼ばざりし友なくてその晩年にわれはあらざりき  (同上)

 
 年来の友であったが小中氏の晩年は疎遠になっていたようだ。カズヒロと永田氏のことを呼んでいた、こうとしか呼ばなかった。小中英之が永田氏とほんとうの友としてつきあっていたことがわかる。


 遠くきて風にまぎれむうつし身の右手にみづうみ左手夏草 (小中英之歌集 『過客』より)

 「右手」は「めて」、「左手」は「ゆんで」と読む。


 盆迎え去年(こぞ)逝きし犬帰り来ぬ写し絵いちまい盆棚のうへ

 期待して東の夜空眺めても月なき大きな穴あるばかり

 


庭の花と庭の桃、いただいた菓子をお供えにした盆棚
甘唐辛子の炒め物も供えた
今年は老犬ももこの写真が加わった
家族の一員として父母やレオに迎えられているにちがいない

写真の花は名前のわからないつる性の植物
つるを伸ばしてもわたしが切ってしまうので大きくなれない
伸び放題にしたら2階の屋根まで伸びるにちばいない