何かわからんが疲れた

 午前中は雨で午後も少し雨が残った。夕方になり、犬友だちが愛犬の散歩に出たのでわが家の前で合流していっしょに歩いた。
 友だちは自分の病について、知人や友人の話すとけっこうわたしもやったという人がいるんだよねとわりと明るい声で話した。これを聞いていちばん悪い脳の病気を想定していたわたしはいくぶんか胸をなでおろした。二番目三番目くらいに想定していた病気の名前を出すと友だちの反応からどうもそうらしい。
 なんかすごく疲れを感じた。病名を友だちがなかなか口に出さないので、悪い方に想像し過ぎた。あ〜あ。良かったと思う。同時に疲れた。気持ちをリセットしよう。気持ちのどこかに垂れ込めていた暗雲がすーっと去っていくのを感じる。友だちの心配をしてももちろん自分のやりたいことはやっていた。心を痛めながらも。この痛みが軽くなった。友にもわたしにもよかった。もちろん治療のリスクはあるだろうが前もって見つかったのはよかった。

 新緑が開きそろひ庭木らのことしのみどり雨につやめく

 薔薇の葉はふぞろいの水玉のせりさみどりの雨ふる五月の庭

 いっぽんの雨傘買へば去年(こぞ)なくて今年あるものひとつ増えたり

 去年(こぞ)ありて今年なきもの去年(こぞ)なくて今年あるものこの皐月の日に

 上の2首は小中英之著『小中英之歌集 過客』の1990年潮干に掲載の歌を読んで詠った。5月9日は昨年、老犬ももこが広縁で食べたものをすべて吐き戻した日である。

 身のまわり潮干のごとし去年ありて今日なきものをすでに驚かず


 この歌もいいと思った
『小中英之家集 過客』1990年夏灯台、夏の往来より

 夏いかに過ぐるか知らぬ身に入れて永遠が澄む茗荷汁かな

 合歓咲くに遅速おのずと自在なるひと日の終わり速達とどく

 あかときの風に遅れて茄子の花ひらく地球に藁を敷きたり