昨日は老犬レオの命日であることに夜になって気づいた。前日まで明日(6月15日)は命日と思っていたのだが、当日朝からせわしなくて忘れてしまった。昨年まではこんなことはなかったので4年という歳月が流れたことをあたらめて思った。
朝は早めに起き〈5時頃)、5時半ごろ家を出た。コンビニに買い物に行くついでで少し遠回りをして散歩した。川の上流の方へと歩き、かるがもの親子に会いたい気持ちもあった。
残念なことに会えなかったが一昨日の朝、家の近くの川で見かけたときひなが大きくなっていたのであまり心配はしない。
午前中は昨日の疲れが残っていたのか、あまり動く気になれず、自分の部屋で敷いたままの布団に横になったり、小中英之の歌集を読んだりした。『翼鏡 小中英之歌集』の最後のほうにこんな歌がある。
今しばし死までの時間あるごとくこの世にあわれ花の咲く駅 (小中英之『翼鏡 小中英之歌集』より)
花の咲く駅は人のことのようにも思える。しばしの時間を信じてわたしも今日を生きることにしよう。
午前中は横になったが眠ることはなかった。昨日の梅の収穫の後で知人の家で食事をした。その席で何人かの人が習慣のように昼寝をしているがそれで夜寝つきが悪くなることはないと言っていた。わたしは昼寝をすると夜寝つきが悪くなったり、眠りが浅くなることが多い。
昼食後は車でオリンピックに行き、ホワイトリカーや粗塩、三温糖など梅関係の買い物をいくつかした。家に帰りこんどは梅の収穫。自宅用である。梅酒用に出来るだけ青い梅を1キログラム、梅干し用に熟しかけた梅を2キログラム。じっさいに漬けこむのは明日以降にするつもり。できれば明日中に。
わたしの歌(早朝の散歩のときを詠んだ)
うす雲のかかる朝空月影は覚めやらぬ夢のさまに浮かべり
さかのぼる川辺に咲くあぢさゐの色とりどりが心にしみる
里芋の苗が畑に整然と並びてをりたるおかしくかなし
愛犬の命日忘れ一日(ひとひ)過ぐ4年の月日に隔てられつ