朝顔の植え替え

 昨日は夕方になって同じ町内会の方の通夜を掲示板で知り、急きょ近所の人とでかけた。
 近所のお寺が会場で御霊前を渡し、お焼香をすませて帰った。父と母の通夜に来てくださったのでお返しの意味もある。ただ、なるべく葬式には参列しないようにしたいのが本音。母と叔母が同じ日に亡くなり、その17日後に従兄が亡くなり、葬儀が重なり、葬儀へのアレルギーというか拒絶反応がある。浮世の義理は生きている間にあるていどは果たさなければいけないだろうが。
 今日は季節に背中を押されるようにして、種を蒔いて育てた朝顔の植え替えをした。大きな鉢に3つの苗、それより少し小さな鉢に2つの苗を植えた。行燈仕立てにするための支柱を立てた。
残った朝顔の苗はほしい人がいればさしあげるつもり。
 百日草も種を蒔いてたくさんの苗ができたが、こちらは昨日李の木の下にある花壇に定植した。花壇に直接蒔いたものはやっと双葉が出たばかりだが暑くなればどんどん生長するだろう。
 今日は何となく忙しい思いをした。図書館に車ででかけたが前の道が工事中で入れず、違うルートをカーナビで探したがうまくいかず、一度家に帰り、夕方出直した。工事中のところが実は入ることができて、わたしは工事現場の人に怒りをぶつけた。右折禁止という看板はひとつ先の道は右折禁止ということだと説明され、怒り狂った。車は目の前の標識や看板に従う。目の前の看板が右折禁止とあるのをもう一つ先の道の右折禁止と考えるだろうか。
 もうちょっとお互いに暮しやすいようにできないものだろうか。
 図書館では予約していた小中英之の歌集『わがからんどりえ』と『翼鏡』『小中英之全歌集』を借りてきた。ほんとうは好きな歌人の歌集は買い求めて手元に置いて置くのが歌人への礼儀かもしれない。

 朝が来てえさを探せる鳥たちに死にたるものは加われぬ永久(とわ)

 十一号の喪服は太りし吾(あ)の墓標のごとく鴨居にかかる

 軽トラックに乗り親子で現場へと向かひし朝朝もう見られず

 柿の下に雨傘を開き置き木もれ日のなかいこはせたり

 かたわらの犬の写真にもう寝よと声かけつつ眠りに入る

少しづつ植え替えが進んでいる花壇
いまは鉄砲百合が主役となっている
今年は雨で打たれた花粉が白い花を汚すことなく咲いている

 
今年は紫陽花の花があまり咲かないので寂しい
花後の剪定の時期が遅すぎたのだろうか

駐車場を後ろから見た写真

植え替えた朝顔の苗
老犬ももこがいた夏に咲いた朝顔なのでせめて今年は咲かせたい