百日草が咲きそろう

 5月に種を蒔き育ててきた百日草。大きなプランターに植えた苗が成長し、色とりどりの花を咲かせている。種を蒔く時期をずらし遅くしたので花壇に植えた百日草はまだ成長途中だ。
 昨夏、老犬ももこがいたときは百日草の種から発芽するものが少なく、花が咲く時期も遅れ、花が寂しかった。今年は今のところ見事に咲いている。
 午前中、10時頃だと思うがすももの残りを収穫した。脚立にのぼり、いつものように。残りと言ってもまだまだあるがそろそろ知人友人に配るのはやめて家の前に「ご自由にお持ちください」と並べておこうかと思っている。配るのもかなりの労力なので。
 30分ほどかけてすももをもぎとり、すぐ着替え、近くの特別支援学校に足を運んだ。思いついてすももを3袋に少し入れて持って行った。ここで知り合った方にはまださしあげていないので。
 特別支援学校のカフェの指導をしている先生にも一袋、カフェに来た知人ふたりに一袋ずつ。カフェが終わる頃、二週間ほど顔を見ていない友だちが来たので家に寄ってもらえればすももがあると話したら、喜んでくれた。
 カフェでは俳句の話などで盛り上がった。西行法師と芭蕉の話が出た。どちらも旅を生涯の友とした。
 カフェを後似し、友だちと家に帰り、さきほど収穫したすももの残りをぜんぶあげた。食べきれなかったらジャムにするとおいしいとことばをそえた。
 今日も午後はずっと家にいて、短歌集を読んで過ごした。
 過去のブログを見て鷺草の花芽が上がってくるのはいつ頃なのかを調べた。早い時は7月の半ば過ぎで花芽が出たと書いてある。今年はなんとなく花数が少ないような気がして、早く鷺草の花芽を見て安心したい。一昨年の夏の老犬ももこの写真を見ると儚い気持ちにおそわれた。ももこが元気だった夏は一昨年の夏一回だけ。2015年の夏。あのときわたしはももこが来年の夏は末期の状態になっているなどと想像もしなかった。ももこは家に来た当時から老犬だったのでそんなに長い間この家で暮らせるとは思っていなかったが、それにしても元気なのはこの夏一回だけとは思わなかった。
 一昨年の8月の写真をパソコンで開くと、老いてはいるがまだ元気なももこがいる。「ももこ」と声に出して呼んだ。

 行く夏の記憶重ねてつかのまに耀き放つ多摩川の花火

 川岸の片へに並ぶ半夏生の緑と白がそよいでいたり

 片岸に半夏生が咲いてをり昼夜流るる水辺に立ちて

 


 
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