梅とともに季節を生きる

 ちょっと大げさなタイトルになったが梅が熟し始めてからは梅に追われるかのような生活になった。
 追われるほどではないが日々落下する梅の実を拾い、捨てるわけにもいかず何にしようと頭を悩ませている。
 昨日の日曜は午前中梅がらみで友だちや知り合いが訪れた。友だちからは梅ジャム用のガラス瓶をもらい、知人からは梅漬けのレシピをもらった。知人にはついでに庭の青梅1㎏あまりを獲って後で届けた。庭の梅の木を見て「すごい、たくさんなっている!」と言ったので「何か作る?」と聞いたら梅ジュースを作りたいと言ったので。
 日曜の午前中は熟した梅の実を洗って干したものを細かく刻んで鍋に入れ、三温糖や白砂糖を入れておいた。午後の夕方近くから煮詰めてジャムにした。一昨年か昨年、砂糖を少なめにしたらすごく酸っぱいジャムができてヨーグルトに入れも美味しくなかった。だから砂糖の分量には神経を使う。火をかけてから何度なく味見をして甘味を加える。
 知人からもらった梅漬けのレシピはNHKテレビで放映していたのを見たのでああ、あれかと思った。作りやすそうだが三日三晩外で干すというのができそうもなく、わたしのなかで却下したレシピだ。だが1㎏くらいなら作ってみようかと思った。何も三日三晩にこだわることはない。融通をきかせればいい。
 梅に気をとられているわけはないが、草花の手入れのほうが少しおろそかになっている。毎年この時期は植え替えのときで、いつもはもっと花屋で買ってきた花苗を花壇に植えているのだが今年はぽつぽつとしか植えていなく寂しい感じ。
 くわえて種を蒔いたものが多く、今咲いている花が少ない。昨年まで元気だった山紫陽花はこの時期深紅色へと飾り花が変化するのだがこの紫陽花が枯れてしまった。このことも花壇を寂しくしている。鉄砲百合がひとりがんばって咲いている。この花壇はわたしにまかせて!と言わんばかりに。ただ、花にはきれいに咲かせた翌年は急速に衰えるという傾向があるので、鉄砲百合を見ながら大丈夫かなと思うところもある。
 今日は午後から自由が丘の美容院に行った。柴犬レオ、老犬ももこがいた頃は違う美容院に行っていた。12〜3年同じところに通い続けたがいろいろあって足が遠のいた。
 今日行ったところはリーズナブルなカット料金だが今回の美容師さんはこちらの要望を聞きながらていねいに仕上げてくれた。感謝感謝。

 わが犬が病み衰へし去年(こぞ)の夏思い出すまいと思へどまた夏

 隣り家の古き建物まなうらに思い描けば去年(こぞ)還りくる

 テーブルの上の箸入れに蟷螂(かまきり)見犬に助け求むる日ありき

 蟷螂を見ることなく幾年過ぎゆきて庭にをりしころなつかしむ

 梅雨入りとなれども晴れの日続きたる東京の空夏の雲浮かべる

 熟せる梅の実自身の重みで落下すまた地を打つ音が

 熟せる梅の実落ちるわが時間たち切るやうに地を打ちたり

 熟せる梅の実の落ちる音すればひとつの命終わりたりと思ふ

 梅の実の地を打つ音のかなしさはわが見送りし命のはかなさ

 梅の実を拾ふ吾(あ)の耳に響きたる落下の音ふと手を休める


今年もトレニアを二株植えた
もうひと苗植えたいが

昨年秋に植えた段菊の葉が繁ってきた

こちらも五月半ば過ぎに植えたグラジオラス
その後ろはミソハギで切り戻したので枝数が増えた

水色の花が咲くオキシペタラムを植えた
グラジオラスは5月半ば過ぎに球根を植えたもので剣のような葉っぱが出てきた