なんて馬鹿と思うが朝、急に行きたくなった。少し前から行こうかどうか迷っていたという下地はあった。今日は展示会の最終日である。
10時半ごろ家を出て六本木の新国立美術館へ。チケット売り場に入館の待ち時間110分の表示、やめようかと迷っている間に120分へ。けっこう高齢の方、こども連れの方も列に並んでいるのを見て意を決してチケットを買った。美術館のめぐりをぐるぐる歩きながら回って入館まで待つことに。歩くので気が紛れる。立ちっぱなしで待つのはもっとストレスだろう。美術館に入っても展示会場の入口に到達するまで、フロアをぐるぐる歩いて移動。やっと会場のある二階に上がるエレベーターに乗るまで1時間半くらいか。2時間はかからなかった。長めに表示してあるだろうと思ったがその通りだった。表示の時間より待ち時間が長かったらクレームがつくかもしれず、ストレスが増すので。
今回の展示の目玉である「スラブ叙事詩」は大画面の絵を連作で、見応えがある。ただ、スラブの歴史にまったくうといのでひとつひとつの絵の解説を読みながら鑑賞したがいまひとつピンとこないところがあった。民族とか宗教とか国家とか、わたしが苦手とするテーマを扱っているからかもしれない。
ミュシャの鉛筆描きスケッチは葉書大ほどの紙にスラブの農民の衣装や動作、仕草、顔つきなどを描いてあり、これはよかった。葉書大の紙に十人以上の姿が小さく描かれてそのどれも的確でいきいきとしていて・・・・・このスケッチがあの大スケールの絵のもとなのかもと思った。民族というテーマは大きいがつまりはひとりひとりの人間の描写の積み重ねがミュシャの絵の世界をつくったといえる。
空に向け短剣のさまに葉を出せるグラジオラスは八月に咲く
深紅の花咲かせるポピー鬼のごとく強し光を独り占めせり
ポピー抜く芽生えたる百日草のふた葉ひかりあびうれしげなり
夏雲が似合ふ巨大なガラス製の新国立美術館なり
雨傘を日傘に使ひてミュシャ展待ちの列2時間となり
前の人歩けば歩く素直なる動物のやうに列守りたり
美術館のめぐりぐるぐる巨大生物の腸を歩くやうに
ミント色のひさし重なる巨大なガラスのうねりの美術館
駅前でパンを買ひて帰路につく犬待つ家は遠くなりゆく
老犬のまったりとせる顔見ればなんとあくせくこの頃の日々
美術館の外で並んでいたときに撮った写真
ミュシャの大画面の絵は撮影可の展示室があり、みんなスマホで撮りまくっていたが
わたしは撮らなかった