俳句の番組を見て老犬ももこを思い出す

 日曜の朝は5時半ごろ目を覚まし、6時から放映のNHKの短歌の番組を見た。その続きで俳句の番組を見た。俳人の今井聖氏はこの番組ではじめて知ったが、俳句の解釈のしかたがどこかユニークで共感できることが多い。今朝は「蜥蜴」(とかげ)という題だった。
 蜥蜴という題でこれだけ多様な俳句がうまれることも驚きだがわたしは老犬ももこがいた頃のことを思い出していた。おととしの5月だと思う。散歩から帰ってくると花壇の近くに母親になった野良猫がいて、花壇のほうを見ながらじっとしていた。少したち猫は花壇の中に入り、草花のなかを素早く動いたかと思うと口に蜥蜴を加えていた。くわえたまま猫は花壇から出て庭の外へと去った。
 その間、老犬ももこはわたしのそばにいたが猫がいたことに気づいたかどうか。おととしのももこはまだ元気があって道や庭で猫を見かけるとリードを引っ張って追いかけようとした。あの時はそんな気配をももこが見せなかったので猫がいたことに気づかなかったように思う。花壇の草丈が高くて低い位置にいるももこには猫が見えなかったにちがいない。
 蜥蜴から思い出したおととしの一場面。草丈の高い花壇と素早く動いた野良猫の印象は鮮やかに残っているがももこの姿はほとんど記憶に残っていない。ただ、ももこが猫に気づいたら追いかけようとするので困ると思ったことはおぼえている。ももこに猫を見せないように少しわたしから離れたところにももこを座らせていたのかもしれない。


 野良猫は庭の蜥蜴に狙い定め一瞬で口にとらへき

 わがそばに老犬ももこおととしの五月の庭のできごとなり


 街川から軽鴨のひな十羽がとつぜん消えて街は寂しい

 街川の水少なくなり水栓をどこかで誰か抜いたやうなり

 今朝までかるがものひなは消えてしまったと思っていた。夕方お墓参りに行く途中、川をのぞき込んでいる女性がいるのでもしかしたら・・・・と思い、近づいていっしょにのぞき込むとかるがもの親子がいた。十羽が七羽に減っていた!だがまったくいなくなったと思っていたのでうれしくてうれしくて。墓参はそっちのけでかるがもの親子をしばらく追いかけた。

わが家の近くで見かけたかるがもの親子
親鳥が一羽、ひなが七羽
川全体の水量が少なくなり、特に上流はかるがもが泳げる深さがなく、歩いて移動していた
この辺りはまだ泳げるのでいいほう


鉄砲百合が咲き始めた
この花は雨の季節の花、梅雨が近いことを知らせてくれる

植え替えを進めている花壇
忘れな草のこぼれ種からもうたくさんの芽が出ている