墓参は21日にすましているが今日も陽ざしが弱くなった夕方に行くつもりだ。
昨日は気持ちのいい晴天がひろがったが、半蔵門線・清洲白河駅から15分ほど歩いたところにある東京現代美術館に足を運んだ。
先週インターネットで入場予約をした。「GENKYO 横尾忠則」展である。はじめてスマートフォンでチケットを予約購入した。今まではコンビニに行きお金を払い、チケットを受け取っていたがその手間がなくなり、便利になった。
今回の展示のために会場には、いくつも小さめの展示スペースが作品のテーマに合わせて作られている。さらにわりあいと広めの展示スペースもあり、変化に富んだ空間が作られている。
わたしは横尾忠則さんという画家についてあまり詳しくなく、ただ20歳代のはじめに寺山修司や唐十郎の演劇のポスターでこの画家と出会い、その印象が強い。その後はときどきテレビなどで紹介されているのを見るていどだった。滝をテーマにした連作をテレビで見た記憶があり、強い印象が残っている。
今回の展示では横尾忠則さんという画家はどんなものに興味を持ち、表現しているかがわかり、目を見開く思いがした。三島由紀夫の切腹事件は重要なモチーフとしてなんども繰り返されているし、滝というテーマも追及している。生まれ育った生家は川沿いにある旅館で、その原風景は絵画のテーマにもなっている。東西の宗教的なモチーフも随所に使われている。また、他の画家がテーマになり、モチーフになっている。ルオーの絵画をアレンジして描いたり、ベラスケスの絵の王女のシルエットが使われたり・・・・・。コラージュ的な手法が特徴的な絵画が多い。
おもしろかったのは滝の写真のインスタレーション。床も高い天井も壁もすべてが鏡で作られた展示スペースの壁に下から上まで葉書大のモノクロの写真がぎっしりと貼られている。天井にも張られていたか記憶にないが、床には葉書は張られず、床に立って下を見ると高い壁が下に向かって映り底なしの世界がひろがっている。自分の足元を見て、緊張が走り生唾を飲み込んだ。ややくらっとするような視界だ。
横尾忠則さんの死んだ愛猫を書い絵をたくさん展示したスペースもよかった。どの作品も作者が所蔵している。猫への愛着、その猫を描いた絵画への愛着が伝わってくる。
街の中にある三叉路を描いた絵画は見ごたえがあった。画家によって街の三叉路が意味あるものに生まれ変わる。なにげなく通り過ぎている風景こそがおもしろいものなのかもしれない。
美術館を出て、清州白河の街を歩いてみた。大通りから一歩入ると趣のある様子の商店街があった。そこにあるベトナム料理店で牛肉入りのフォーを食べた。フォーは米粉で作った透明感のある白の細いうどん。牛肉入りのスープに生のもやしとシャンツァイを入れ、薬味に酢漬けのニンニクを加えて食べた。麺もスープもおいしかった。蓮茶と揚げ春巻き付きにした。
さて、秋分の日の今日は今のところのんびりとしている。家にいて読みたい本、読みたい資料を読み、久しぶりに文章にまとめてみようかと思う。いろいろなことがみめぐりには起こるが、やはり自分が知りたいこと、自分の興味の対象を大切にしたい。
まだ午前中、先ほど近所の和菓子屋さんに行き、おはぎを二つ買ってきて10時ころ二つとも食べた。仏壇にお供えするつもりだったが、ぺろりと食べてしまった。