庭道に梅のはなびらがこぼれて

 朝から晴れてお昼頃もきれいな青空がひろがっていたが午後遅くなり雲が出てきた。
 まだ陽射しがある時間にデジカメを持って庭の写真を撮り、パソコンにデータを保存しているとき、写真を見て梅の花びらがかなり散っているのに気づいた。目で生の現実を見たのでなく、写真を見て気づくところがなんかおもしろい。
 人はふつうに暮らしていると自分が歩く道に梅の花びらが落ちていることなど気づかないものかもしれない。それともわたしが疲れていたとかそんな理由で気がつかなかったのだろうか。
 花盛りだった梅の花が過ぎて散り始める。時の流れの自然ではあるが一抹の寂しさがある。こうして何もかもすぎてゆくのだろう。わたし自身も過ぎてゆくもののひとつである。
 今日はいつもと違って老犬ももこの友だち犬やその飼い主さんと夕方の散歩をした。朝の散歩は友だちの娘さんがしてくれたとのこと。
 散歩の帰り、母がいつも通っていた近くの診療所の前を通り過ぎた。診療所の医師は3〜4年前に亡くなって今は診療はしていないが看板はそのままになっている。その診療所を見ていると母のまぼろしが見えたような気になり、こころのなかで「もう○○さんはやっていないよ」と声をかけた。母が驚いたような顔でわたしを見たので「いっしょに帰ろう」と言った。


 この色は今年の緑色として額紫陽花の新芽きらめく

 花に抱かれ眠り続けよとわが犬の写真の前に赤き椿おく

 水母のやうな雲が三つゆく大海原はなほ遠けれど

 新しい緑色が加わりて庭は春へのあゆみまよわず

 おろかなる涙流れり弥生のひざしぬくき縁側のどこか

 昨年の落葉土へと還る力働き森の匂ひにもどる

 花多き庭の写真に不在のかげ梅の花びらのごと散らばる

 奇蹟といふわけではあらねど部屋の扉あけると犬がいそうな気がして

この椿の木はこの角度から撮った写真がなかったので
アップロードしてみた
ここ数年でいちばんきれいに咲いた

ここに植えた梅と椿、どちらも今年がいままでにいちばんきれいに咲いた
こういう年もあるんだね
記念写真のつもりで

桃のつぼみ
なんでもものつぼみは白くけぶって見えるのだろうと思い
接写してみた
うぶ毛のようなものが生えているような気もする
果実もうぶ毛があるがそれと関係あるのかないのか

オカメ桜を見て小さい花だけれどちゃんと主張していると言った人がいる
花色が濃く、花の中心がさら濃い色になっていると

サクランボの花
まるで空気のように光のように淡い色
鉢植えで13年くらいこの庭にいるが大きくなれずかわいそう