日中はあたたかくなるが朝は寒い日が続く。
昨朝いつも散歩する犬友だちから散歩の後電話があり、16歳の柴犬の女の子が息をひきとったらしいことを知らせてくれた。柴犬レオが若い頃、よく多摩川の河原で会ったことがあり、とても元気な子で飼い主さんが河原を走り回って追いかけていた記憶がある。「らしい」と書いたのは柴犬の様子が死んだとは言い切れないところがあるみたいでかすかに心臓が動いているような気がすると飼い主さんが言ったそうだ。
わが家の老犬ももこのときは息がとまった後少しの間心臓が鼓動を打ち、その音が止まったことをわたしの手のひらで確認したので、ももこが死んだということを鮮烈に自分のからだで感じ受け止めた。心臓がかすかでも動いているような気がするということが実感できないので飼い主さんの気のせいかと思った。
昨日の午後は自由が丘にでかけ美容院でカットした。14、5年通った美容院があり、ももこが死んだ後一回行ったがどこかに違和感を感じやめたのである。
カットが終わり、見るだけと思いある店に足を運んだ。その店に行く道を歩きながらももこがいたときもこんなふうに歩いたことを思い出した。一種のデジャビュ(既視現象)におそわれた。その店に入り、商品を手に取ってしばらく時間を過ごし家に帰ればももこが待っているような不思議な感じ。
ももこがいたとき何回も歯科病院に通いその帰りにこの店に寄ったので、そういう感覚がからだの中に残っているのである。20回近く通ったように思う。ももこがいるとき20回近く繰り返したこと。しかも日常的なことではなかったため印象が強く残っているのだろう。
今朝の朝の散歩でも16歳の柴犬の女の子の話をした。犬友だちは昨日の午後、飼い主さんの家に行き対面したそうだがからだをさわったりしても死んでいると確信がもてなかったそうだ。
散歩から帰るとその犬友だちから電話があり、飼い主さんからのメールでまだ固くなっていないと知らせてきたとのこと。まだ柴犬の女の子は生きているのだろうか。行きつけの獣医師さんに事情を話して往診に来てもらうようにしたほうがいいと助言した。友だちはそうすると言って電話を切った。医学にはうといのでわからないが脳死状態なのだろうか。それとも昏睡状態なのだろうか、手当てをすれば元の状態に戻るのだろうか。
とどのつまりは柴犬の女の子はすでに死んでいた。すぐ獣医師が来てくれて確認したそうだ。高齢になると死後硬直がはっきりと出ない場合もあるとネットに掲載されていたとのことだが。この子の場合もそうだったようで飼い主さんは宙ぶらりんの気持ちだったそうだ。愛犬の死を受け入れきれない飼い主さんに親身になって寄り添った友だちはやさしい人だなと心底思った。保護犬として可哀そうな境遇にあったももこに心を寄せてくれ、闘病しながらも何とか歩こうとしていたももこに共感し、その姿をおぼえていてくれた。
今日の午後は庭に出て奥庭に植えた南天の木を剪定した。正木や梔子なども一緒に剪定した。区道との境なので生垣の機能も持たせた植込みであるがひとまずスカスカに切った。夏になれば元通りに繁ると思うから。9束ほどに南天の切った枝を束ねた。他の木の枝はゴミ袋に入れた。常緑の葉が一年中繁っている南天の枝は見た目のかさがあるが束ねるとぐっとコンパクトになる、それでも9束なのでかなりの量だ。
白花の枝垂れ梅花の下にて会いたき人は遠い人
日を追って花数増せる白梅に目白の連れ立ちて訪なふ
青空に白き星散らすかに梅の古木はいま花盛り
家一軒消へめぐりの家別の顔見せをり空に月影
思ふよりあっけなく消えし隣の家ひらける風景この世に残して
壊されし家に住みにき人らのかほ思ひ浮かべる赤土さびし
愛しても命消へるをとめられぬわが知りしよりつらさ増したり
わがそばで安心しきっていたる命ひとつ守ることできず
愛犬の死を認められずからだあたたかしと思へるかなし
同じ駅で電車降りし人みな前を向いて歩き去れり
花壇に植えたクリスマスローズ
つぼみの先の赤みが強くなってきた椿
駐車場の後ろに植えた実梅の花
他の場所に植えてある同じ品種の梅も花がちらほら開き始めた