雲が多く薄日が射す静かな日曜日

朝のいつもの時間に近所の家に行き、いつもの犬友だちに会った。いつものようにももこの友だち犬といっしょに散歩したのだが、友だち犬はわが家の前でおしっこをした。おしっこで匂いを残し、ももこに挨拶をしているように思えた。わたしは元気だけどももこちゃんはどうなの?みたいに。友だち犬にとってはももこは死んでいないのだ。前と同じようにおしっこで匂い付けをして、ももこもおしっこで返事をすることをどこかで期待している。
 ふと、ももこも今この時間いっしょに歩いているのではと思った。おしっこはできないがここにいるよと友だち犬に伝えたいのかもしれないと思った。
 友だち犬の中でももこがまだ生きているということは〈実際はいないということが思い知らされ)すごく寂しいと同時に、ももこを忘れていないことが救いのような気もした。
 ももこが死んだ後も、ももこがきっかけで知り合った友だちやその愛犬とこうして散歩ができるのはももこを失った喪失感をやわらげてくれる。これも、ももこのおかげ。
 

一昨夜の十三夜のお月さまを詠んでみた。

夕暮れの空に出初めし十三夜寝起きのごとく光うすし

十三夜ひかりをはなつ鶏卵か胎内に影やどしまろやかに

夏の花のあと返り咲くエキナセア返り咲くこともできない死者なり

老犬の使いしケージありありと目に飛び込めば涙湧き出ず

駐車場の後ろの花壇では千日紅が花盛りだが、その横には
来春の花、千鳥草の小苗が植わっている

夏の間ずっと咲き続けてくれたインパチェンス
ももこの闘病生活の間、朝夕に雨戸を開け閉めするとき、
疲れて庭を眺める時、この花が目にやさしかった

ポット鉢に植え替えた千鳥草とアゲロステンマ
秋の陽を浴びて早く根を張ってほしい