紅梅が咲き始めた

 晴れて青空がひろがる。陽ざしはたっぷりだが風は冷たい。

 玄関のわきに植えた紅梅の花が咲き始めた。昨年、短く枝を切り詰めたのでそんなに花数は多くない。老犬ももこがこの家にいた2016年はもっとたくさんの花が咲いたので、少ない花を見て寂しい気持ちになった。

 この紅梅は早いときは年末から咲き始めた。二十年近く前、年賀状の文面に庭の紅梅が咲き始めたと書いたことを思い出した。

 一月も今日と明日で終わりかと思うと、時間が過ぎる速さに驚く。

 昨年のことをときおり思い出して反芻している自分がいて、過去を振り返っている間にも時間は進んでいく。  

 水害に見舞われた一昨年から昨年、今年と身辺に劇的な変化がおこり、そのたびにせいいっぱいのことをしてきたつもりだが振り返るとあれでよかったかという思いがある。

 例えば水害の後始末をしながら、水害にあっていないものもたくさん捨てたのだが、今思うと行き過ぎたのはないかとも思う。水害はわたしの過去につながるたくさんのものを捨てるきっかけになり、亡くなった父母が残した衣類その他を捨てるきっかけともなった。捨ててから一年以上の時間が過ぎ、ふと我に返ると捨ててしまったもののなかにもういちど手に取ってみたいものがいくつもあると気づく。身近にあってほしいものがいくつもある。

 もう捨ててしまったので取り返すことはできないから、なくしてしまったところから生きていくしかないのだが。

 庭の紅梅がそんなわたしに元気を出して、と言っているように思える。この紅梅はわたしが中学生の時に今と同じ場所に植えられていた。中学生になった記念に玄関前で撮った写真にこの紅梅がひょろひょろと若木の姿で写っている。

 中学生のわたしを知っている紅梅。この木を植えた父のこともまだ若かった母のことも、紅梅は覚えていると思うと今年咲いてくれたことが感慨深い。

 

北風に頬なぶられて帰る道 家に待つ人待つ犬のなく

 

グラウンドの赤色の土につむじたて風がしづかに通り過ぎゆく

 

 

 

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